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どんなことを考えてサッカーを指導するのか

2023年度から LINDA SMILES という中高生年代の女子サッカークラブをスタートさせたのですが、その LINDA SMILES で実施したクラブ説明会の内容を、LINDAの公式note にてまとめて公開しました。

しかし、まさかの15,000字越え⋯というとてつもない長いものになってしまったので、その中から「サッカーについて」書いた第二章だけを、せっかくなのでこちらのnoteでも共有したいと思います。

どんな理想のもとにサッカーをするのか、どんな練習をしていくのかというだけでなく、指導者としてという部分にもかなり斬り込んだので、指導者の方に読んでいただけたら嬉しいです。

では、どうぞ。

日本で一番、ゲームをするクラブ

これはぜひ強調したいところなのですが、サッカーは結局ゲームです。複雑な練習メニューであたかも「練習やった」感を与えられるのではなく、ゲームの中でいろんなシチュエーションが生まれるように条件やルールを多様に設定し、そこに選手はトライする。そうしてゲームに没頭し、楽しんで真剣勝負をし、気づいたら勝手にレベルが上がってる、、この理想を目指します。
それだけでなく、もう中学生で大人なので「気づいたら勝手に上達させられていた」だけでなく、選手自らが「自分は今こういうことがうまくなりたい。だからこのゲームの中でそれを練習する」という内発的動機マインドで、日々のゲームに臨んでくれたら最高です。多種多様なゲームを用意しますので、お楽しみに。

うまいという言葉をなくす

「うまい」という言葉があるから「うまくない」「ヘタ」という言葉が生まれ、それが劣等感や変な序列を生み出してしまうのではないでしょうか。
「うまい」という言葉の概念や定義って、考えてみたら無限ですよね。でも日本では「ボール扱いがうまい」というような目に見える表面的な部分に対してどうしても「うまい」という評価をしがちです。もちろん専門家はそういう見方はしないでしょうが、サッカーに限らず、球技全般そういう傾向はあるでしょう。

ボール扱いがうまくできなくても
・ポジショニングが良く、ジャストなタイミングでボールを受けられる
・守備の対応がべらぼうに得意
・味方の囮になり、スペースメイクのために走ることができる
・コーチングが的確
・ドリブルで相手を抜けなくても、相手のラインを破るパスが出せる
・その他、たーくさん色々

このように、選手それぞれ「出来ること」「得意分野」があるはずです。
そこを見つけてあげて、さらに引き出してあげて、磨いてもっともっと伸ばす。コーチの役目はそこにあると思ってます。だからLINDAでは、簡単に「うまい」という言葉を使いたくない。この言葉に安易に逃げたくない。
極端に言えば、ボールにさわらなくてもサッカーはできます。

ボールは友達じゃない

「ボールは友達!」と大空翼くんが言っていましたが、ボールは決して友達ではありません。友達を蹴ってはいけない。ボールは道具。大事な道具ですね。
だからこそ忘れずに持ってくるし、綺麗に拭いてあげるし、ボロボロになるまでとことん付き合って、大切に使うもの。
でも、やっぱりボールは友達ではなく道具。本当に見るべき友達は、ピッチの中に何人もいるじゃないですか。

日常で使う道具は、見つめていては使えません。鉛筆は勉強の道具ですが、文字を書くときに鉛筆は見つめないですよね。お箸を持つときもそう。自転車も中高生には欠かせない道具ですが、自転車に乗るときに自転車を見つめていたら事故ってしまいます。
サッカーもそれと同じ。道具であるボールを真っ先に見つめ、ボールから目を離さずにプレーしていたら、味方と相手が入り混じるピッチの中では何もプレーができなくなってしまう。

ピッチにはボールよりも大切な友達がいて、ボールよりも見るべきものがある。これを、普段の練習の中でしっかりと伝えていかなければなりません。
これを伝えるのは、サッカー指導者に課せられた絶対的な責任です。

しっかり教えること

うまいという言葉から解放してあげて、本当のフットボールを体感させてあげながらレベルを上げさせてあげたい。そうしていくことでサッカーの楽しさをさらに知り、楽しさがさらに増していく。そんなサイクルの日々を過ごさせてあげたいのです。

そのためには、サッカーの仕組み(原理)を知る こと。
仕組みを知り、それに慣れていく。その中で自分がどう振る舞えばいいのかを身をもって体感し、学んでいくということです。

だからこそ、巷でよく見かける風景そして「こういう指導がいい」と言われがちな「どうする〜?考えてごらーん?」なんていう指導は最悪だと自分は思っています。ご意見は多々あるでしょうが、これは声を大にして言い続けたい。偽善的な指導は指導者の自己満であり、責任放棄だと思うのです。

指導者は、選手がそのとき何を教えて欲しいのかをしっかり感じ取り、それをタイミング逃さず教えてあげなければいけない。
それは試合でも同じ。前半うまくいかず、ハーフタイムになりベンチに帰ってきた選手たちは、監督やコーチに一体何を言ってほしいのか。それは決して「叱ってほしい」ではないですよね。そんな選手一人もいないはず。どうすれば後半うまくいくか、それを教えてほしいと思っているはずです。
それを感じ取ることもできず感じ取ろうともせず、選手たちを救ってあげることを言えないのならば指導者として失格。ただただ気持ちの部分にフォーカスして叱り飛ばす人、結構多いですよね。いや気持ちも大事ですけど、気持ちにアプローチするのなら、選手のハートに自然に火がつくような言い方があるはずです。

ピッチをどう見るか、どっち側から見るか。
この状況をどう考え、どう解決に導いていけるのか。
何を思いながらプレーするのか。

考えてごらんと言うのなら、このように見方や考え方、そしてマインドの部分ををしっかりと伝えてから。

ただ楽しくやるだけじゃない。ただ、居場所になるだけじゃない。
サッカーの仕組み(原理)を知り、見方や考え方を知っていきながら、段々と
キモ、いわゆるコツを知る。それを自分なりに利用していく。
フットボーラーとしての階段を上がっていくためにここは決して外せません。
それは「どうする〜?考えてごら〜ん」だけでは決して辿り着けない領域。
だからこそ、ちゃんと伝えて教えてあげないといけないのです。

例えばこんなこと

例を挙げればキリがないですが、その中からほんの少しだけ。
例えば

さわるから、ミスる

これは原理ですよね。ボールは勝手にミスをせず、ボールをさわる人がミスをする。だから転がってきたボール(パス)をさわらずにターンできるならばそのままターンしたほうがいいですし、ミスも起こりません。となると、さわらずにターンできるかどうか、その前にスペースを確認することが必須になってくるわけです。いつ見るか、どこを見るか。そこをしっかり教えてあげないといけない。
パスをさわらずにターンして相手を置き去りにしてしまう。ベルギーのルカクのプレーがわかりやすいです。

(ルカクのノータッチターンは2:30〜)

さわるからミスる、とは少し毛色が違いますが、記憶にも新しいカタールW杯ドイツ戦、堂安の同点ゴール。

(堂安のゴールは9:13〜)
動画で確認するとよくわかりますが、堂安は目の前にこぼれてきたボールにそのまま向かっていきシュートを打つのではなく、寸前に「タタン!」と細かいステップを入れて調節しています。このおかげで、ボールをふかさずに打てた。
ボールにさわる前のステップはマジで大事だということを自分はあらゆる指導現場で伝えているのですが、この堂安のゴールはとてもわかりやすい例でした。
ファーストタッチの前にファーストステップ。こういうこともしっかり伝えなければ、選手が可哀想です。

ドリブルの考え方

ドリブルは相手を抜くためや前進するためだけではなく、相手を引きつけるため、相手の意識や視線を集めるため、つまり味方をフリーにさせてあげるためにするとさらに効果的。
この考え方を知っていれば、ドリブルに入る最初のタッチが違ってきます。方向も違ってきます。何より、頭と心が変わってきます

技術は脳と心が出すものです。
この後に味方へスルーパスを通すためにどういうコース取りやタッチをするのか、これは脳
自分がこうしてドリをしていくことであいつがフリーになる。あいつのために、今あえてドリをしているんだ。これは心

メッシがW杯の準々決勝オランダ戦で見せた1点目のアシストがまさにこれでした。メッシはドリブルを効果的に使う、世界最高のパサーなのです。

(メッシのスーパーアシストは2:11〜)

パスの考え方

パスにもいろんなパスがあります。
相手の間を破るパス、味方の足元に出すパス、渡すパス、預けるパス。
一見その場では意味のないような些細なワンツーや横パスでも、それを繰り返すことでジャブのように相手の目を揺さぶり、蓄積させて疲労させるジャブのようなパス。「預けるパス」と書きましたが、預けるということはもう一度どこかで返してもらう前提になりますね。だからパスの後にどう動くか、という引き出しにもなります。渡すパスなら、投げたり蹴ったりしてはいけません。文字通り「渡す」んです。優しく、丁寧に。

パスはそれが通れば成功なのではなく、そのパスを受けた味方にアドバンテージを与えられるかどうかが大事ですし、受けた選手がその後のプレーを成功できるかどうかで決まるもの。
だから「自分が苦しくなったから」といって放り出すようにパスを蹴ってしまう子がまだ多くいますが、そのようなパスはしてはいけないし本当のパスではないということを、ちゃんと伝えてあげるべき。これは心の領域でもあります。

ミラーパス

ボールを持ったAさんが後ろを向いている。それに対して前向きなBさんが一旦パスを預かり、Aさんの背後を走るCさんへパスを通す。これを「ミラーパス」と言います。BさんがAさんの鏡になってあげるということですね。
横ミラー、斜めミラー、縦ミラーもできる。

(7:18〜ミラーパスからのゴール)
このミラーパス、LINDAでは意図的にめっちゃ練習してもらいます。

サッカーは人と人が人の間でやるもの

人は、こうなればほぼこうなる
そんな「人間の原理」をサッカーに置き換えプレーに活かす。これを一流選手たちはみんな知っています。例えば
自分がこういうタッチをすれば、相手はこっちに一つズレるとか。
人は味方同士で並んだら必ず譲り合ってしまう生き物。だからセンターバック2人の間めがけてドリブルすれば簡単に割っていけるとか、そこにボールを放り込めばフリーでヘディングできるよとか。

このように
「こうすれば、ほぼこうなるよね」
というアイテムをたくさん織り交ぜながら、練習していければと思っています。

デブライネはサッカーを知っている

そんな一つの例ですが、この画像はロシアW杯準々決勝「ベルギーvsブラジル」でベルギーのデブライネがシュートを打とうとしているところ。目の前に対峙するのはブラジルのマルセロです。
この時点ですでにボールひとつ分のシュートコースがありますよね。でもこのコースが、もうちょっと空くんです。それをデブライネはちゃんとわかっていた。
それはなぜか。実はこの右側にもう1人ベルギーの選手が走っていて、その選手に気を取られたマルセロがそっち側に釣られてしまいコースが空くんです。
走ったその選手はそれが目的で走っている。このゴールを生んだ功労者。こういう走りを意図的にできることも「サッカーを知っている」と言えるのでしょうし、さらにそれをちゃんとわかっていて活かしたデブライネも、サッカーを知っている選手ということです。

(デブライネのゴールは2:39〜)
こういうことは練習の中でちゃんと伝えてあげて、選手自身が身をもって体感しないと永遠にわからないこと。考えてごらーん、では一生辿り着けない領域。
これを、うちでは笑いながらアハ体感させてみせます。

日本で一番、ロンドをするクラブ

ロンドとはいわゆるボール回しのことですが、ロンドをしながら、自分がこういうタッチをすれば相手はこうズレる、だからこうなる⋯的な、これまでに書いてきたようなサッカーの仕組み、原理、キモやコツを、うちでは「ロンド」の中でたくさん練習したい。ウェーイ!ぎゃーっ!チャリーン、などと一見笑いながらやっているように見せかけ、実はロンドの中でフットボールをめっちゃ練習してるそんな日常。ゲームとロンドを両立させながら、笑いとフットボールを高いレベルでリンクさせ両立させていきます。

少しだけ種明かしをすると
「ロンドはボール回しじゃなくて相手回しだよ」と言うだけで選手たちのプレーがガラリと変わります。ボールを動かすのは相手を動かすため。相手に穴を開けるため。
これがまさにフットボール。ゲームと同じく多種多様なロンドを用意していきます。これもお楽しみに!

ちょっとした視点の変換

ここで問題です。
「あお」
これを一瞬であかくして下さい。

これは実際クラブ説明会の日にも皆さんにやってもらったのですが、頭の中が柔軟な子どもたちはこれすぐにわかっちゃうんですよね。でも頭の中が凝り固まっている大人はなかなか解けない。僕も最初はまるでわかりませんでした。

青を赤くして下さいではなく、あおを、あかくして下さい。
・・・
あ、かくして下さい。
・・・
はい、もうわかりましたね。そういうことです。まだわからない方は一生モヤモヤし続けましょう笑

これは一つの例ですが、このような「ちょっとした視点の変換」を選手たちにはたくさんしてほしいのです。そしてそれを活かした指導をしていきたいとも思っています。

例えば
「相手よりも先にボールにさわる」
これを、意味を変えずに別の言い方をしてみて下さい。
答えは「相手に先にボールをさわらせない」です。結果として、急がずとも自分が先にさわれることになりますよね。

この変換ができれば、プレーが変わってきます。
「相手よりも先にボールにさわりたい。だからボールに足を伸ばす!」のではなく「相手に先にさわらせなきゃいいのだから、まずは相手を抑えよう」となり、足の行き先が変わってきます。

脳内変換でプレーが変わる。サッカーがもっと簡単になる。スピードに頼らずに相手に勝てる。これを、たくさん実感させてあげたいと思っています。

歩くようにプレーしよう

これまで書いてきたようなさまざまな考え方やキモ、コツ、プレーをする上で大切にしなければならないことを実践していけば、急がずとも慌てずとも走らずとも、きっと歩くようにサッカーができるようになります。

人間の最も自然な動作は歩く動作です。道を歩いていて、何もないのにいきなり転ぶ人はいない。走ると転ぶことはありますが。
ピッチ上では、味方と歩調や呼吸を合わせ、相手の動きを観察し、見切り見極め、相手を動かしそれを利用して先をいく、逆を取る。バレないようにいろんな仕掛けを散りばめ、ジャブを蓄積させて相手を翻弄して自由自在にプレーをしてほしい。それらを走りながらやるのは大変ですし、それをできるようになればきっと「歩くようにプレーする」光景が増えるはずです。

ゆっくりプレーしているように見せかけて、頭の中は高速で動き先を行っている。「ゆっくり」とは「いつでも速くできる」ことの裏返し。
自由自在で、しなやかに。
そんなフットボールを、必ずや表現できるようになると信じています。

美しさはシンプルなプレーから生まれる

この動画はカタールW杯準々決勝で魅せたネイマールのゴールなのですが、最後はGKをも抜いてゴールするという、とても派手な美しいゴールでした。しかしこのゴール、よく見たら抜け出すまではワンツーを2回しているだけなんですよね。預けて走る、また受けてまた預ける、また受ける。受けた味方もしっかりと「返す」ことを忠実にやっている。基本に徹したシンプルなワンツーをふたつ組み合わせた結果、大会屈指の美しいゴールとなったわけです。

「美しさ」とは派手なプレーや即興のアイデアやアドリブからしか生まれないということでは決してなく、こういったシンプルで堅実なプレーからも生み出せるもの。そういったことも、しっかりと伝えていきたいです。

さあ、美しいサッカーをしよう。

熱さ必須。本当のチームワーク

美しさだけじゃない、楽しむだけじゃない。チームメートを信じて熱くプレーすることも、サッカーにおいて絶対に大切なこと。
2006年ドイツW杯での準決勝、延長後半の試合終了間際。ドイツのクロスを弾き返したイタリアがカウンター。その時、最後方にいたデルピエロは迷わず一心不乱に走り出し、ボールが来ると信じて走り続けます。この時、デルピエロはもうベテランの位置付けでピークは過ぎ、もう終わったとも言われていた選手。そんなかつてのスーパースターが、この時間帯にあの位置から必死に走り続けた。
それを、チームメートたちもちゃんと知っていた。

その結果、どういう結末を迎えたか。この動画は昔からあらゆる指導現場で見せているものです。これからのLINDAでも、決して外さずに伝えていきたいこと。大切にしたいものがたくさん詰まっている本当のチームワーク。
どうか最後まで見て下さい。(動画内、0:50〜)

サッカーにおける自由とは

クラブ説明会にて「10円玉を書いて下さい」というお題を出し、選手たちに描いてもらいました。10円玉の表側を描く子もいれば裏面を描く子もいた。縦から見た細い10円玉を描く子もいたかもしれません。

これも視点の変化ということに繋がるのですが、試合で言えば「10円玉を描こう」はチームの共通理解。ゲームモデルと言えるかもしれません。

でもその10円玉をどう描くかはそれぞれに委ねられている。個々が好き勝手に10円や100円、1,000円札を描いていいわけではなく、あくまでも「10円玉を描こう」で一致している。皆でそれを目指す。でもその表現方法や実現の方法は選手が自由に選んでいける。そこに選手の個性が出る。表現方法や実現方法は違っても、皆で描き達成を目指しているものは同じ。だから決してバラバラにはならない。

いろんな意見があるかとは思いますが、僕はこう思って、選手たちに「自由とは」を伝えています。これからも、きっとこれは変わりません。

「10円玉を描いて下さい」というお題の後、引っ掛けのつもりで「500円を描いて下さい」とお題を出しました。500円玉、ではなく500円、です。ほとんどの子が500円玉を描いている中、1人だけ100円玉を5枚描いた子がいた。
「だって、500円だから」と。
・・・
引っ掛けようと思ったのに!全員が500円玉を描いてこちらドヤ顔したかったのに!笑 彼女が披露してくれたこの「真実を見抜く」着眼点、サッカーには必要なことなんですよね。自由にそして賢くプレーするには欠かせない要素の一つです。

遊び半分

遊び半分。こう聞くとどこか緩かったりネガティブな印象を持ちますよね。でもこれ、サッカーをプレーする上でかなり適した言葉ではないかと思っています。
遊び半分。つまり半分は遊べるんです。半分は自由にできる。でも見方を換えれば、半分しか遊べないし、半分しか自由にできない。
つまりもう半分は、したくなくてもしなくちゃいけないことを見つけてしていかないといけない。だからこの遊び半分という言葉はサッカーの本質を見事に言い表した言葉であり、育成年代の選手たち、特にこれから大人の仲間入りをしていく選手たちには、この言葉の本当の意味をしっかりと伝えていかなければと思っています。

守備したくない!でもいま自分が守備に帰らないと失点しちゃう。ならやるしかないじゃないですか。アイツがボールを奪われた。そばにいるのなら、そのアイツよりも先に自分が奪い返しにいかなくちゃいけません。奪われたの自分じゃないからむりー、なんて言ってたらフットボーラー失格です。

正直に言えば、うちのクラブでもまだプレーに「遊びしかない」子も何人かいます。したいことだけして、したくないことはしない。そんな子に対し、遊びだけで埋まったその子の円グラフをこれからギューっと半分にしていかなくちゃいけない。それは大人の役目です。もちろん無理矢理じゃなくですけどね。
その半面、これまでの習慣なのか「まるで遊ばない」子もいる。それはそれでもったいないことなので、僕ら大人が「もっと遊んでいい、もっと自由にやっていいんだよ」と、その子の円グラフを逆に押し戻して「遊び半分」にしてあげなくてはいけないわけです。

サッカーで大人になっていく

サッカーは自由なスポーツ。その自由という定義をどう考えるかは先ほど書きましたが、いま自分は何をするべきか、自分の欲求や喜びのためだけにやるのか、味方のために動くのか。
自由にプレーすること。でも、それだけじゃやっていけない。でも、義務だけではサッカーがつまらない。だから遊びもふんだんに織り交ぜながらサッカーしたほうがいい。でも、したくないこともしていかないといけない。
大人になるって、でも、でも、の繰り返し。
その辺のサジ加減や折り合いをどうつけていくか。でも、でも、を繰り返しながら自分の中で葛藤して、新たな喜びを見つけて、仲間を助けて、仲間に助けてもらって、だんだんと自分の本当の喜びを知っていく。

それが「サッカーで大人になっていく」ということ。今はそう思っています。


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