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英リバー級フリゲート

 第二次世界大戦が始まると同時にドイツは無制限潜水艦戦を宣言した。イギリスは先の大戦で父の世代が血をもって贖った教訓である「船団護衛に必要なのはとにかく数」に従い帝国中の造船能力を総動員して護衛艦艇の量産にとりかかる。しかし国内の造船所の多くは軍艦の建造に不慣れだった。また精密なタービン機関はより高速を必要とする軍艦に装備する分を製造するので手一杯だった。

 こうして事情からうまれたのが艦名に花の名前を冠したフラワー級コルベットだった。商船式の構造をもち、旧式ではあるが生産能力に余裕があるレシプロエンジンを搭載したフラワー級コルベットは、速力は16ノットと低速で航続距離も短くもっぱら本国近海の護衛に用いられたが、なにより国内の大抵の造船所で建造可能でありカナダやオーストラリアといった自治領の造船所も動員されて多数が建造された。最終的には改良型も含めて300隻近い数が1944年までに就役した。

フワラー級コルベット HMCS Amherst

 フラワー級は大戦初期の船団護衛に大いに貢献したが、やはり能力不足は否めず特に問題になったのは航続力の不足だった。ドイツの潜水艦が大西洋の中央部まで進出して船団に攻撃を加えるようになるとフラワー級の航続力が及ばす陸上からの哨戒機も届かないこの海域はドイツUボートの格好の猟場になった。イギリスは護衛空母を建造して哨戒機の間隙を埋めようとしたがまだ数も揃わず、いずれにせよ護衛艦艇は必要ということで性能向上がはかられた。こうして計画されたのが本稿の主役リバー級フリゲートになる。

 フワラー級と同様に中小造船所でも建造できるよう商船構造とレシプロ機関は踏襲された。船体はひとまわり大きくなり搭載燃料が増えて航続力は倍増し、機関が1基から2基になって速力も20ノットに増大した。武装も大幅に強化されている。船体が大きくなったことで居住性も改善された。長期にわたって日夜緊張を強いられる護衛任務には重要な要素だった。外見はずっと軍艦らしくなっており、戦前から戦争初期に整備された軍艦構造をもつスループに似ている。

リバー級フリゲート HMS Mourne

 リバー級もイギリスのみならずカナダやオーストラリアでも建造された。むしろカナダが建造の中心となり、トータルで151隻のうちカナダは70隻を建造した。リバー級フリゲートは1942年から1944年にかけて就役したが、オーストラリアが建造した12隻の一部は就役が戦後にずれ込んだ。リバー級フリゲートは建造したイギリス、カナダ、オーストラリアのほか南アフリカや自由フランス海軍にも提供され彼らの手で運用された。大戦中に10隻が戦没した。

 護衛艦艇不足に悩むイギリスは1940年、海外領土基地(バミューダなど)の米軍による使用権と引き換えにまだ中立を保っていたアメリカから旧型駆逐艦50隻を受け取っていた。しかし翌年末にアメリカが参戦するとアメリカ海軍はまさに最盛期を迎えようとしていた「大西洋の戦い」にほとんど準備がないまま巻き込まれることになった。立場は逆転し、アメリカ海軍は2年余りにわたってUボートとの熾烈な戦闘を繰り広げてきたイギリス海軍に教えを乞うことになる。その一環としてカナダで建造されたリバー級フリゲートのうち2隻がアメリカに引き渡されることになった。

 アメリカが受領したリバー級フリゲートはアシュビル級としてアメリカ海軍に編入されたが、わずか2隻のフリゲートは戦力的にはほとんど意味がない。イギリスが期待したのは提供したリバー級をもとにアメリカが同様の艦艇をアメリカ自身で量産することだった。実際アメリカはリバー級の基本構造はそのままに、機関や兵装を自国の装備で置き換えたフリゲートを100隻計画しそのうち96隻が就役した。タコマ級フリゲートと呼ばれる。

タコマ級フリゲート USS Tacoma (PF-3)

 しかしアメリカはこのタコマ級に満足しなかった。イギリス式の必要最低限の機能だけを盛り込んだ質実剛健なつくりがアメリカ人の気質にあわなかったのかも知れない。完成したタコマ級のうち20隻あまりが本家イギリスに供与されコロニー級と呼ばれた。さらに30隻近くがソビエトに貸与され、残った艦は沿岸警備隊が運用することになった(当時沿岸警備隊は海軍の指揮下に入っていた)。

 アメリカ海軍は自分自身の手でフリゲートの役割を担う護衛艦艇を計画した。これが一連の護衛駆逐艦で、フリゲートよりひと回り大きく武装も強力で何より居住性に優れていた。旧式のレシプロ機関にこだわる必要はなかったのでディーゼル機関やタービン機関を採用したが、さすがのアメリカでも一種類の機関に統一することはできず機関だけが異なり兵装は同等というバリエーションが生じた(後期艦は船体が延長されている)。

 アメリカが建造した護衛駆逐艦の一部はイギリスに貸与された。ところがアメリカ海軍がタコマ級に満足しなかったように、イギリス海軍もこのアメリカ製の護衛駆逐艦に満足しなかった。イギリス人は受領した護衛駆逐艦の内装をイギリス式に徹底的に改造した。この工事には数ヶ月かかるのが常で、アメリカ側は戦力化を無用に遅らせていると苦情を言い立てたがイギリスは聞く耳をもたなかった。

 アメリカが他国に貸与していたタコマ級は戦後返還されたが、アメリカはこのタイプを評価していなかったので放置していた。ソビエト海軍はタコマ級の多くを太平洋艦隊に編入しており、ウラジオストクで返還された艦は本国に回航されることもなく極東各地の米軍基地に係留されていた。まもなく時代は冷戦となり、日本の再軍備が検討されるとアメリカ海軍はこのタコマ級を日本に供与することを思いつく。

 1953年はじめから年末にかけて合計18隻のタコマ級フリゲートが日本に引き渡され、当時まだ海上保安庁の傘下にあった海上警備隊に編入された。各艦は木の名前を命名され「くす級」と呼ばれる。口さがない人はこれを「雑木林艦隊」と呼んだという。1954年に海上自衛隊が発足すると機動運用部隊である自衛艦隊が「くす級」を主力として編成された。より強力な駆逐艦や護衛駆逐艦が供与されるようになり、国産の護衛艦も就役してくると「くす級」は地方隊などに順次移され1972年までにすべて除籍された。

警備艦もみ JDS Momi
(米艦名ポキプシー USS Poughkeepsie)

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