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お家騒動から見るシーア派とスンナ派

某幸福の科学教祖が死去して後継者をめぐり実子と後妻のお家騒動が起こったようだ。あまりちゃんと追ってないので真偽のほど定かではないが、後妻が実権を握り、長女の前世がアマテラスから妖怪おたふくに格下げされてしまったというツイートを見かけた。妖怪おたふくって誰だよ。

既視感があるなと思っていたが、初期イスラームにも実子と後妻の対立とも言えるものがあり、後妻のグループが実権を握り、実子派を迫害していったとも言える過程があったなというのを思い出した。実はこれが後のシーア派とスンナ派への分裂にも繋がったのだ。

イスラームについて詳しくない人でもイスラームにはシーア派とスンナ派があるのは知ってるだろう。世界史や倫理でも出てくるしニュースで名前を聞いたことある人もいると思う。シーア派とスンナ派は同じイスラームであるが、カトリックと正教会のように教義が異なる。
教祖ムハンマドの血筋の人間がイスラーム共同体のリーダーになるべきだと考えるのがシーア派で当時は実子とその子孫が中心となっていた。一方でスンナ派は模範的な信徒ならだれでもリーダーになれると考えた。ムハンマドの後妻アーイシャとその父アブー・バクルを中心としたグループである。シーア派とスンナ派は現代では教義がかなり異なるが、元を辿れば実子グループと後妻グループの対立に起源があるのだ。

お家騒動としてシーア派とスンナ派の違いを解説している人をあまり見たことがないのでこの記事でしていこうと思う。

シーア派とスンナ派が分からない人を非難するとき使える画像

興味ない人は「預言者の血筋を気にシーア派 血筋なんて気にスンナ派」と覚えて記事を閉じていただいて構わない。

1.初期教団の分裂

預言者ムハンマドは生涯12人の妻を娶ったと言われている。子供は7人産まれたが、そのうち男児は3人のみでいずれも幼少時に亡くなってしまう。4人の娘たちのうち、3人は短命で命を落としたり、子供ができても夭逝してしまい、後継に恵まれなかった。唯一子孫を残すことができたのが、末娘ファーティマとムハンマドの従兄弟であるアリーの夫婦だった。ファーティマの娘婿アリーはムハンマドの死後、ムハンマドの家の長となった。

ムハンマドの死後、本来ならアリーがイスラーム共同体のリーダーとなるはずであったが、彼は若過ぎたため候補から外された。共同体のリーダーとしてアブー・バクルが選挙で選ばれた。
アブー・バクルはムハンマドの親友であり、血縁以外で最初にイスラームを信じた教団の古株であり重鎮であった。ムハンマドの死後アブー・バクルはカリフ(預言者ムハンマドの代理人)として選ばれて初期教団を率いた。
アブー・バクルの娘アーイシャはムハンマドの妻であった。ムハンマドは最初の妻に先立たれたあとアーイシャと結婚した。当時6歳であったが、アーイシャはムハンマド最愛の妻となる。2人の間に子供は生まれなかったが、アーイシャは預言者の最愛の妻、模範的信徒、初代カリフの娘として影響力を持ち続けた。

後妻アーイシャと家を継いだアリーは当初から対立していた。カリフも初代アブー・バクル以外全員が内部抗争により暗殺されている。アリーは四代目でカリフに就任することができたが、これにアーイシャは猛反対した。教団有力者であるムアーウィヤとともにアリーに対して反乱を起こす。
アリーの勢力は徐々に劣勢になっていきムアーウィヤと和議を結ぶ。ムアーウィヤはカリフを名乗り、彼らに従った者たちが後にスンナ派と呼ばれるようになる。スンナ派は血筋に関係なく、信徒たちの合議によりカリフを決めるべきだとした。アーイシャにはムハンマドとの間に子を残しておらず、歴代カリフたちもアリーを除いてムハンマドと血縁関係にないのでそのような発想になるのも当然だろう。個人的にもそっちの方が宗教としては民主的に見える。

一方でアリーに付き従うものたちは預言者ムハンマドの血筋の者がカリフになるべきだと主張した。彼らは後にシーア派と呼ばれることになるが、このシーアというのはアラビア語で派閥、一派を意味する。元々は「アリーの派閥(シーア)」と呼ばれていて、シーアが自分たちの宗派を表す呼び名となった。

2.シーア派の特徴

シーア派の指導者はイマームと呼ばれる。アリーとファーティマの間には2人の息子がいる。その息子、および彼らの子孫がイマームに相応しいと考えるのがシーア派だった。
学派にもよるが、シーア派で一番メジャーな学説ではこれまで歴史上12人のイマームが現れたことになっている。12代目のイマームは人々の前から姿を消した。この状態を「隠れ(ガイバ)」と言い、現代でも12代目イマームのガイバは続いている。最後の審判の日にイマームは救い主(マフディー)として再臨すると信じられている。

シーア派は常にスンナ派に対して少数派であり時に強い迫害を受けてきた。それ故に終末論的であり、アリーや歴代イマームたちを襲った悲劇を追体験する行事もある。スンナ派と比べて神秘主義的でもあるが、同時に理性の働きを重視する宗派でもある。

シーア派特有の宗教行事アーシューラー
イマームに降りかかった迫害を追体験することで
信徒の一体感を高める

また、スンナ派ではイスラームの信仰と義務は六信五行であるが、シーア派では五信十行である。
スンナ派における六信が

  • アッラー

  • 天使

  • 啓典

  • 預言者

  • 来世

  • 定命(アッラーにより定められた運命:カダル)

であるのに対して、シーア派の五信は

  • 神の唯一性

  • 神の正義

  • 預言者

  • イマーム

  • 来世

であり、微妙に教義が異なるのだ。神の唯一性という概念はタウヒードという言葉でスンナ派神学にも存在するが、シーア派では信徒が最初に信じるべき基本に据えられている。たしかにイスラームでは神の存在が前提となっているし、人間が信じようが信じまいが関係なく神は存在しているので、基本的な信条に逐一「アッラー」を出さなくてもいいのだ。

3.シーア派はどのくらい少数派なのか

シーア派は全信徒のうち10〜20%を占める少数派である。
分布地図を見てもイラン、イラク、アゼルバイジャン、バーレーンに集中していて、世界のほとんどはスンナ派に見える。日本で出会うムスリムもほとんどはスンナ派であろう。

茶色い国ほどシーア派が多い

しかし、この地図をよく見てほしいのだが、インドネシア、バングラデシュ、パキスタンという人口が非常に多い地域でスンナ派がマジョリティになってるのが分かるだろう。スンナ派が8割強というのは実は南アジアや東南アジアの人口過密地帯のムスリムがスンナ派であることが原因である。

一方で中近東諸国におけるシーア派の割合を見てみよう。

中東各国におけるシーア派の割合

イラン、イラクなどではシーア派がマジョリティだが、それ以外にもレバノン、イエメン、シリア、アフガニスタン、サウジアラビアなどで無視できない規模のマイノリティとなっている。シーア派が2割しかいないというのはあくまで南アジアや東南アジアを含めた世界規模の話であり、中近東に限って言えばもう少し存在感のあるマイノリティである。

4.シーア派やスンナ派について学ぶために

興味を持った人向けに本を紹介する


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