6ヶ月乳児+4歳園児への『甘やかし』について考える

先日、次男(6ヶ月)について書きました。笑うようになってきて、訳の分からぬ言葉(喃語というそうです)を話すようになり、かわいくなってきました。もうすぐ7ヶ月なのですが、自我がどんどん強くなってきたのを感じます。喃語を話すようになりました。要求も、喃語を話して要求する時と、泣いて要求する時の2パターンになってきました。

次男は、パパに抱かれてもママを求めて泣く時があります。それは、「おなかが空いた」などの生理的な要求ではなく、「ママが良い」という要求なのでしょう。

前回、次男が笑う時に積極的に反応する話を書きました。先日、岸見一郎さんが翻訳されているアドラーが書いた本である『子供の教育』を読んでいて、気になる事がありました。それは、子供への「甘やかし」です。

アドラーは「子供に対する『甘やかし』は害がある」と主張しています。

その事例の一つに、6歳になっても話さない子供が出てきます。言葉を話すのは何か要求があるからで、親が先回りしてやってしまうと、子供は言葉を話す必要性が無くなるので、話さないのだそうです(アドラーが言うところの、「目的がないからやらない」だと思います)。

先日書いた「子供が泣いていない時に注目する」と言うのは(基本的には「良い」と思うのですが、)一歩間違うと、「親が先回りして全てをやってしまう」事になってしまうと思います。「そこまでやってしまうと、立派な甘やかしになるので、危険だな」と思います(そこで、泣くより喃語を話した時に要求をかなえてあげる、「パパ」「ママ」などと聞こえる喃語を話した時にかなえて上げるようにするのを意識しています)。

子供を「怒鳴りつける」より、「怒らない」「叱らない」「褒めない」を実践するのが大前提です。次に、「甘やかさない」も気にしていこうと思います。

次男(もうすぐ7ヶ月)を甘やかさないというのは難しいかもしれませんし、長男(もうすぐ4歳)を甘やかすより害は小さいと思います。最近、悩んでいるのは、長男と次男の関係です。

長男は泣かなくなっていました。次男は夜に泣きます。泣くと当然、ママがだっこをします。泣かない長男はママに放置され、泣いている次男はママに抱き上げられるのを、長男はたびたび目にしています。そこで、「泣く事でママにだっこしてもらえたり、かまってもらえる」と考えたのか、何かと理由をつけて泣くようになりました。

代表的なものは「怖い夢を見る」「次男の泣き声が怖い」「(蚊に刺された後を指して)痛い」「おなかが痛くなった」などです(最後の方は嘘をついています)。そういって、ママに泣きつきます(毎日、新ネタなので、幼児の知能が発達しているのを感じます)

パパとしては、「ママにかまってほしいだけでしょ」と思いますが、口には出さない事にしています。こんな会話になります。

長男:(泣いている)
   「えーん、痛いよ」
パパ:「どうしたの?」
長男:「パパ、僕、お腹がいたくなっちゃったの」
パパ:「汚い水でものんだの?」
長男:「のんでないんだけど・・・」
パパ:「風邪引いたのかな?
    お腹が痛いんじゃ、パパと公園に遊びにいけないね。
    じゃあ、パパは一人で公園で遊んでくるよ。
    長男と公園で遊びたかったんだけどな。残念だな」
長男:「お腹痛くなくなった」
パパ:「良かったね」

この手の話はやりすぎると、お腹が痛い時に「痛い」と言わなくなると困るのですが、「嘘を言っている」と確信した時は、こういう会話をしています。

「だっこしてほしい」「かまってほしい」という目的の元に、仮病の「痛いからだっこして」などの嘘を言う行為は、基本的に認めないようにしています。そのかわり、こう言っています。

パパ:「だっこして欲しければ、『だっこして』と言ってくれませんか?」

そう言ってストレートに要求してくれば、パパもママも長男を抱きしめて上げるようにしています(ママと一緒のお布団でずっと寝れると長男は満足し、そういうことも言わないのでしょうが、ママも育児で大変なので、毎日そんなことはできません)。

私が甘やかしを避けるために気をつけているのは、次の2点です。

・親が子供の先回りをして要求をかなえてしまうのを避ける
・子供が仮病や「怖い」を使って、親を支配しようする要求を拒否する

まだまだ、「甘やかし」を十分に避けられているとは思いませんが、厳しすぎる親の方が(特に乳児に対しては)害が大きいと思うので、「甘やかし」については徐々に取り組んでいきたいと思っています。


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