息子と犬と野菜と私


アドラー心理学において、「子育てで大切なのは、子供への勇気づけ」ということになっていると思います。

アドラー心理学では、子供を叱ることはだめで、怒ることはもっとだめで、褒めることも駄目です。何か子供が悪いことをした際に罰を与えることも駄目です。

私はこの点を合点をしました。

思い出すのは、NHKのプロジェクトXだと記憶している番組(か、その後継番組)で、盲導犬を育てるプロの人の話がありました。かなり厳しく犬を躾をしたところ、自分が躾けた盲導犬をもらった人から、

「お前の犬は、役に立たない」

と言われてショックを受けたという話です。飼育員さんは、犬を非常に厳しく育てたのですが、その犬は、飼育員の目があるときちんと盲導犬の仕事をするのですが、飼育員の監視の目がないと仕事をさぼるんだそうです。盲導犬は、飼育員さんから、目が悪い人に引き渡されます。盲導犬は飼い主である目の悪い人の言うことを聞かないので、まったく役に立たない盲導犬になってしまったそうです。その飼育員の人が、隠れて自分の育てた盲導犬の様子を見て、たいそうショックを受けたそうです。それから、犬を厳しく躾けることをやめたそうです。

その飼育員さんの結論は、「犬が、盲導犬の仕事を『楽しい』と思ってやらないと犬も力がでない」となり、犬が楽しく盲導犬の仕事をするように持って行く調教に変えたそうです。

その後、その飼育員さんは、盲導犬を育てる仕事が上手く行ったそうです。

実は、盲導犬は、仕事を遊びと混同していて、「仕事が楽しい」という認識なんだそうです。しっぽふりながら、たのしく盲導犬していました。私は、「こういう盲導犬は、本当にいいな」と思いました。

私の中では、息子の教育も同じで、要するに、厳しく親が躾けて、叱って、息子を育てたところで、親の目がなくなれば息子は何もやらない訳で、役に立たない息子になる訳です(息子よ、犬と子供を一緒にしてごめん)。

私も、過去、同じような光景を見た気がします。

中学の同級生なのですが、小学生の頃に、親に中学受験勉強をさんざん”やらされ”、優秀な成績で私立中学校に入ってきた友人を知っています。高校を卒業する頃には、中学入学時に劣等生だった私と成績が逆転していました。

勉強を”やらせた”子供は、親の目がなくなった瞬間や、思春期を超え自我が発達した瞬間、勉強をしないのだと思います。親が言わないと勉強しないし、思春期を超え、自我が発達史、親の言うことを聞かなくなると、勉強しません。

一方、私は、親に勉強を強いられたことがありません。でも、勉強はしました。小学校5年生の頃にこんな会話がありました。

父:「勉強は好きか?」
私:「嫌い」
父:「それは残念なことだな。嫌いかー。俺は好きだったけどな」

それから、なぜか私は勉強を自主的にするようになりました。アドラーの言う「叱っても無駄」というのは、私は「正しい」と思っています。

私の親戚ですが、叔母は、勉強していない従妹を見ると

叔母:「あっ、勉強していなんだね。テストの点は期待できないね。
    別にいいよ。パパとママはお金をためて、あなたが乞食に
    なってもなんでも生きて行くから、どうでもいいものね。
    あなたが乞食になっても知ったことではないから、
    勝手にあそんでればいいんじゃない?」

といったことを言っていて、従妹に「勉強しろ」とは意地でも言いませんでした。従妹は「まずい」と思ったのか、親から隠れて、図書館で勉強していました。勉強は嫌いではなかったそうですが、よく図書館で勉強して、とうとう弁護士になりました。

(長い人生において、学生時代の勉強はどうでもいいのですが)要するに、「やらされたことは身に付かない」と思います。自分で「やろう」と思わない限りは、身に付かないことが多いように思います。

さて、息子(3歳)の野菜の話をしましょう。

ママ:「小松菜を食べなさい!大きくならないよ」
息子:「うえっ」
ママ:「おいしいから、食べなさい」
息子:「大人になったら野菜を食べる。今は食べない」

息子はあまり野菜を食べません。息子は、”今は野菜を食べない”言い訳を見事に作り上げ、「うえっ」と吐き気までを作り上げています。

アドラー心理学では、ある種の頭痛やめまいは、目的の元に無意識に人間が作り上げるものであり、息子の小松菜に対する吐き気も息子の”野菜を食べない”という目的のもとに作り出されたものかもしれません(ピザのトマトソースのトマトは食べる息子が、生トマトを前にすると吐き気を催すのと同様である可能性が高いと思っています)。

さて、息子は、「強くなりたい」と思っているようです。

息子:「パパよりも強くなり、大きくなりたい」
パパ:(かわいいものですな)
息子:「強くなるには、どうすればいいの?
    どうすれば、大きくなるの?」
パパ:「お野菜を食べれば、大きくなれるし、強くなれるよ。
    今日、トマト食べた?パパは食べたよ」
長男:「食べてない」
パパ:「トマトを食べたら、強くなるんじゃないかな?」
長男:「お野菜食べる。あした、トマト食べる」
パパ:「トマトを食べたら、きっと強くなるよ!」

アドラー心理学においては、「息子に関心をもち、横の関係で接してやることが、子供の勇気につながる」という意味のことが書いてあったと記憶しています。上記の場合、「息子が『強くなる』ことに関心を示し、助言をすることで、息子が野菜を食べる”勇気づけ”になるのでは」と私は思いました(「野菜を食べたら強くなる」ことを私は信じています。野菜を食べた方が栄養からして強くなる可能性は高いと判断します。息子には、誠意ある助言をなるべくしたいと思っています)

最近は、息子は野菜を食べるようになってきました。野菜を前にためらう時もあります。

パパ:「あれ、お野菜食べないの?
    食べなくても良いけど、強くはならないね。
    まあ、息子が強くならなくても、パパはいいけれどね」
息子:「今日は、トマトを食べる」
   (トマトを食べる)
   「パパ、トマトを食べたから、強くなっちゃった。
    もう、犬が吠えても泣かないよ。
    野菜を食べて強くなったから」
パパ:「野菜食べたの。強くなるね。犬も恐くないね」

犬に対しても、自信ができたようです。

先日、ご飯を食べに行ったら、次のようなことがありました。

お店の犬:(静かに座っている)
他の犬 :(お店に入ってくる)
お店の犬:「ワン」
  息子:(ビビって泣く)
     「えーん」
  パパ:「息子は、泣いちゃったのね。怖かったね。
      でも、犬は、犬に吠えたのであって、息子に吠えたのでは
      ないよ。大丈夫だよ」
  息子:「やだ、怖い。帰る」
  パパ:「息子は、犬が怖いの?
      犬が吠えたら泣いちゃうんだね。
      パパは、強いから、犬が吠えても泣かないよ」

息子は、犬に吠えられ泣いてしまったのを「情けない」と思っていたのかもしれません。そして、「強くなりたい」と思ったのだと、私は予測してます。

今日、息子は、犬と犬が遭遇し「ワン」と吠えたのですが、長男は反応をしたけれども、じっと我慢して泣きませんでした。本人は我慢をいていたのと思います。

息子:「犬が吠えても泣かなかったよ。
    犬は犬に吠えたのであって、僕に吠えたのではないね。
    泣かなかったよ」
パパ:「そうだね、野菜を食べたから、強くなったんだね」

私は、「息子を勇気づけるとは、関心を示してやることで、相談に乗ってやることで、会話を続けることである」と思っています。私は、息子をコントロールしようとすることをやめました。私は、「息子が挑戦することを勇気づけるべく、前向きな会話をすることが大事である」と思い、日々過ごしています。

しかし、「息子が様々な野菜を自発的に食べるには、多くの日数がかかりそうだな」と思う今日この頃です(頑張ります)。



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