パパの家庭の仕事を三歳児にやってもらうという教育

アドラー心理学を、3歳児の子育てに活用しようと思っております。

タイトルのように「教育」と言ってしまうと、アドラー心理学としては何か違和感があります。なぜかというと、「教える」「育てる」は、親が上から目線で、下の子供に教えてやる、育ててやる、という印象が強いからです。アドラー心理学の立場は、三歳児が(勝手に)学び、(勝手に)習うようにする学習の方が正しいのであり、educationではなく、子供のlearningこそ正しいと私は確信しております。

さて、話がそれました。

前回、親は、子供に「ありがとう」と言える機会を作るべきであり、それは、お手伝いをさせることだと言う主旨を書きました。今回は、これを実践して行くと、どうなるかの例を私の場合で、書いてみようと思います。

私は、アドラー心理学を知ってから、子育てというものがまったく苦痛でなくなり、楽しみであり、喜びになりました。なぜかというと、精神的にどうこうというのもありますが、実際に物理的にも楽になる方法を私が選択しているからです。

アドラー心理学のゴールは、「より大きい共同体への貢献」をすることなので、子供には貢献をしてもらいます。三歳児にとって大事な共同体は、家族です。つまり、パパやママに対して貢献できれば、それはそれで三歳児にとっての喜びであるというのが、基本的な立場であると思います。それが、「昨日はできなかったことが、今日できた」と子供が確信できることであれば、子供にとって喜びになると思います。子供も幸せ、パパも幸せです。

例えば、今日、夕方に、パパとママと3歳になる息子で近所に買い物に出ました。スーパーでたんまり買い物をして、ベビーカーに荷物をたくさん乗せて、家まで帰りました。

今、ママは第二子の妊娠中なので、スーパーで買った買い物の荷物を玄関のベビーカーからリビングに運ぶのは、パパの仕事でした。しかし、パパは、その仕事を息子に委譲します。

パパ:「息子君、息子君、ちょっとこっちに来てください」

息子:「分かったよ」

(といって、息子、玄関のパパの元にくる)

パパ:「この荷物は重いんだけど、ママのところに運んでください。これはとても重い荷物で、両手で持たないと落としてしまうんだ。でも、大事な荷物なので、落とさないでください。赤ちゃんはできないけれども、君は力持ちだから、きっと気をつけて運べば、落とさずに運べると思うよ。だから、両手で気をつけて、荷物を運んで、これをママに渡してほしい。この荷物を運んでください」

(息子、素直に気をつけて、荷物を運び、ママに渡す)

ママ:「あら、ありがとう」

パパ:「ちゃんと荷物を渡せたね。重い荷物だけど運べたね。ありがとう」

という一幕になりました。ママは、途中で、

ママ:「その荷物は重いから、パパが運んで」

と干渉してきましたが、無視です。老化が始まり、昨日できたことが今日はできなくなっている父親、母親とは違って、3歳児の息子は、昨日できなかったことが、今日はできるようになっているかもしれません。また、買い物の荷物もいろいろあったのですが、すべての荷物を息子が運べないのではなく、そこそこ重い荷物は息子は持てます。とても重い荷物だけパパが持つようにすれば、パパの仕事は減る訳です。パパの仕事の中から、息子にできるものを切り出して、息子にやってもらう、ということを私は実践しています。

これは、ただ、パパの仕事を息子にやらせているだけ、であります。それが当たり前となっては良くないのですが、やってもらうように依頼し、やってもらった時に、パパも息子に「ありがとう」とちゃんと言う場合においては、息子にとって非常に有意義なことだと私は思っています。

息子は、パパという大人しか持てなかった荷物を、今日持ち運んで仕事を完遂することができたわけです。息子は、ママに「ありがとう」と言われることで、昨日できなかった重い荷物を運ぶという行為が、今日はできるようになったと自覚することができます。「昨日できなかったことが、今日できるようになる」ということは、成長の実感であり、誰にとっても非常に嬉しいことだと私は思います。きっと、三歳児の息子にとっても、昨日できなかったことが今日はできるようになったというのは大きな自信になると思います。昨日乗れなかった自転車が、今日は乗れるようになった、という事実は、子供が自信を持つには十分なように、昨日できなかった「重い荷物を運ぶこと」を今日はできれば、息子は息子で成長を感じることができます。それは、人に褒められるのではなく、自己の自己への評価が上がる訳です。それが、自信なんだと私は思います。

子育てにおけるアドラー心理学のゴールは、

1:自分は有能である

2:人々は私の仲間である

という心理状態に、息子をすることです。パパの仕事をこなすことで、子供は自分が有能であると思います。つまり、パパの仕事を息子に巻き取らせることは、息子にとってプラスになる訳です。

また、子育てにおいて、パパ、ママは、息子にいろいろな貢献をしています。食事を食べさせるであり、資金的な負担をするでもあり、遊びにつきあうなどでもあり、明らかに様々な貢献を子供しています。であるから、親が子供に仕事をさせることに道義的な責任など全くない訳で、家族が必要としている仕事であれば、どんどん、子供に任せれば良いのです。

そのうち、子供はパパはママに貢献をする仕事をうるようになり、パパやママは子供をそもそも支える活動をしています。相互扶助を行うことで、パパやママは私の仲間である、と思う訳で、その絆は深まる訳です。という意味でも、子供の成長を見守り、パパの仕事を、息子にやらせるということは非常に良いことであると私は思っております。

ちなみに、身重のママは、床に落ちているものをパパに拾わせようとします。しかし、パパは、それを、息子に頼みます。

ママ:「パパ、それ、危ないから取って」

パパ:「息子よ、床に落ちているブロックのおもちゃを片付けてください。パパが踏んでしまうと壊れてしまうし、ママが踏んだら転んでしまうかもしれないよ。ママが転んだら、おなかの赤ちゃんが大変になってしまうかもしれないから、困るよ。だから、ちゃんと拾っておいてください」

とパパの仕事を息子に丸ふりしてみると、以外に子供は素直に動いてくれるものです(「ブロック片付けろ」では動きませんが、「片付けてください」と依頼し、その理由を丁寧に説明すれば、動いてくれることが多いと思います)。

私は思うのですが、そもそも、床にあるものを拾うという行為は、体が小さいものの方が有利です。身長が大きいパパがやるより、身長が小さい三歳児がやる方が労力が少なくて済みます。だから、私は床にあるものを披露という行為は、三歳児がやった方が合理的であると思っています。だから、遠慮なく、パパの仕事を子供に依頼して、任せてしまいます。

他にも、ゴミをゴミ箱に持って行って捨てるなどもお願いします。結構、喜んでやってくれて、ちゃんと「ありがとう」と言えば満足していると思います。また、「ありがとう」をたくさん言われている子供は、他の人にも「ありがとう」をたくさん言える子供であると思います。少なくとも、うちの息子は、気軽に「ありがとう」を良く知らない人に、何かをしてもらった時に言っています。

まあ、そうやって子供にパパの家庭の仕事を依頼し、パパの家事を減らして行くとともに、子供のできる仕事を増やして行くと、パパが子供と接する時間も増えますし、子供とパパの信頼関係もできますし、子供の能力開発にも自信をつけることにもつながります。良いことばかりです。

そうやって、パパが楽になって行くと、息子は本当にありがたいものですし、心の底から息子に「ありがとう」という言葉が出てきます。息子の存在自体は本当にありがたいと私は思っています。

これをパパが腐って、「どうせ息子にはできないからパパがやろう」とか「息子には危ないからこれは運ばせない」とか「息子に任せると転ぶかもしれないし、落とすかもしれないから、自分でやった方が確実ではやい」などとやっていると、息子への「ありがとう」の機会も減るし、子供の面倒をみてやってる感も増殖して、楽しくないと思います。ただ、息子を信じて、息子に任せられる仕事を息子の失敗が許容できる範囲で切り出して、依頼して、感謝を伝えるだけで幸せが待ち受けているのに、息子を信じない、依頼しないというのは、なんと、もったいない考え方をしているのだろうと私は思います。

是非、パパの家庭の仕事はできることから、どんどん子供にやってもらって、「ありがとう」を子供に伝えることが、人類の幸福を増幅すると私は信じてやみません。

本当に、父親の考え方一つから変えることができることなので、アドラー心理学ってすごいなあと私は思っております。



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