じいじ・ばあばとの生活習慣の違いにより生じるいざこざへの対処

お正月と言うことで、実家に帰ってました。パパとママの実家は離れており、このお正月はパパの実家に行きました。

帰省の際に問題になるのは、お泊まりした時の生活習慣の違いです。

じいじとばあばは幸いにも健在です。彼らは見事にベビーブーマーということで、テレビっ子です。実家では、一日中テレビがついている。一方、我が家は、テレビといえば教育テレビ。しかも、DVR(=昔で言うビデオ、Digital Video Recorder)で録画したものを繰り返し見る、ビデオカメラで撮影した子供の映像をDVRに取り込んで見るのが常です。じいじばあばのように、民放番組を見ている時間はほとんどありません。

そして、一番の生活習慣の違いは、我が家では食事時はテレビを消すルールですが、じいじ・ばあばの家では、大抵の場合、食事時にテレビを見ていることです。

長男3歳の興味は恐竜で、恐竜DVDをこの正月に手に入れました。じいじ・ばあばの家で、恐竜DVDを喜んで見ていると、食事の時間になりました。

じいじ:「DVDを見るのはやめようね。ニュースの時間だから」
長男 :「だめー、恐竜DVD見る」
じいじ:(ニュースに強行切り替え)

そこで、食事の時間に突入です。長男は、果敢にもじいじに向っていきます。

長男 :「じいじ、食事の時間なんだから、テレビみちゃだめ!」

長男がじいじに大声で言うのは、ママにいつも大声で叱られているからです。顔には険しい表情を作っています。じいじは、3歳児に怒られる訳が分からないし、「こいつはただ、恐竜DVDをみたいだけだ」と思いこんでいるので、三度ぐらい長男の注意を流した後、大きな声で怒ります。

じいじ:「我慢できないのはだめ。我慢しなさい」

長男は大きな声で、「ひっくひっく」と言いながら泣き出します。私は普段こういう泣き方を長男がしているところは見たことがありません。納得が行っていないようです。

私は両者の主張がよくわかるます。書き出してみると、

<じいじの主張>
・テレビは3歳児の長男のものではない
・3歳児はDVDを見るのを中断すべきだ。なぜなら、再開できるからだ
・私は、いつもどおり食事中にニュースをみる権利がある
・ニュースは生放送なので、今見るべきである。後でも見れるDVDとは違う
・よって、3歳児はDVDを見たくても我慢すべきである

<3歳の長男の主張>
・食事中はテレビを消すのがルールである
・よって、じいじは、テレビを消すべきだ

じいじと長男の論理は、かみ合っていません。家によって生活習慣が違い、ルールが異なることを長男は理解していませんし、じいじは3歳児の主張を理解していませんし、3歳児に主張があることを理解していません。

長男は納得がいかなかったらしく、ずっと泣いています。長男は、じいじの腕の中です。

私は、「長男はきっとこういうことを言いたかったのだ」とじいじに説明しました。が、後の祭り。長男のじいじに対する距離感は、かなり広がってしまいました(じいじが正月なので、酒ばかりのんでいて、冷静な判断力がないのがいけないのですが。ちなみに、じいじも筋を通して、一人ご飯を食べる時間をずらしました。みんなが食事をする中、ニュースを見終わってから、ご飯を食べ始めることで筋を通してくれたのは、流石だと思いました)。

「大抵の紛争というのは、じいじと長男のいざこざの様に、正義と正義の戦いなのだ」と思いました。生活習慣は家によっていろいろありますが、私は「生活習慣の違いに柔軟に対応できる子供に育ってほしい」と切に思います。なので、「このような経験は、子供にとって多少理不尽な体験であっても、積極的に経験させよう」と、私は思っています。

ただ、端から見ていて思うのは、「大声で子供を怒鳴りつけることはやっぱり正しくないのだ」と言うことです。「相手が子供でなくても同じである」と思うので、「軍隊式の日本式教育というのは、少なくとも創造性が重要視される今においては役に立たないのだろう」と思います。少なくとも、私はしたくない。軍隊的な教育も、非論理的な理不尽を受け入れる忍耐力を伸ばすには有効かもしれません。但し、「忍耐力だけの思考停止の行き着く先は、太平洋戦争であり、自由を重視する国への無条件降伏でしかない」と私は思います。

ちなみに、(最近話題のレリジエンスでしょうか)次の日に長男はけろっとして、じいじと会話しておりました。(パパとママが両方がそばにいなければ、そんな勇気もでないのかもしれませんが)「親との関係は子供のレリジエンスの助けになる」と思いました。

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