息子に「ごめんなさい」と言ってみる

我が家では、人を叩いた場合「ごめんなさい」と相手に許しを求めるように指導しています。「家で走るな」とママは息子(3歳)を指導しています。

本日、私が廊下を走ったのですが、すかさず息子から指摘が入りました。

息子:「パパ、廊下を走っちゃ、だめだよ。危ないよ」
パパ:「パパ、廊下走ってた?」
息子:「走ってたよ。だめだよ。」
パパ:「走ってたかー。廊下を走ったらだめだね。ごめんなさい」

私は息子に謝りました。

息子と親が縦の関係ではなく、横の関係になるのがアドラー心理学の教えであると思います。ママが息子が廊下で走ることを叱る以上(ママはアドレリアンではありません)、同じルールがパパにも適用されないとおかしいと思い、息子と私には同じルールを適用しています。(ただ、パパはお酒をのみますが、子供はのめません。「大人じゃないから」など、理由を説明して大人と同じことをさせないことはあります)。「危ないので廊下を走っては行けない」というルールは、パパも息子も条件が同じなので、違反したら謝ることにしています。

逆に言うと、謝れば済む程度のことだと考えています。

廊下を走って謝ったパパを、ママが筆よ執拗に怒ることもないです。その姿を見た子供は、自分が廊下を走ってママに叱られても、ちゃんと「ごめんなさい」と言います。(私はアドレリアンなので、子供が走っても叱らず、「走ると危ないよ。走るとうるさいからマンションの下の人が迷惑するよ。怖いおじさんが来てしまうかもしれないから、老化を走るのはやめてほしいよ。また、走ると転ぶことが多く、怪我をしたら、土日にプールに行けなくなるよ。転んで怪我をして痛いのはパパじゃないから、パパはどうでもいいけど、怪我をしたら多分君は困るから走らない方が良いと思うよ。下の怖いおじさんが来たらパパも困るから、廊下は走らないでください」と息子に頼みます。)

親だけが特権階級でいると、息子も「なんでオレだけが」と思い、親の言うことを聞かないと私は思います。親が息子が廊下を走らないほうが良い理屈を、友人として冷静に伝えれば、息子は素直に理解して、自発的に行動を控えるものであると思います。なにかの拍子に廊下を走っても、親子の信頼関係があれば、「やめてください」の一言で、やめてくれることも多いと思います。

アドラー心理学を実践してみて思うのは、「親が息子と横の関係を築けば、息子は素直に言うことを聞いてくれるものだ」と言うことです。

親にも修行は必要です。

私はたびたび自転車の後ろに息子を乗せて、自転車で遊びに行きます。先日、信号無視をしたところ、

息子:「なんで、パパは信号が赤なのに渡っちゃったの?危ないよ」

と言われ、答えに窮しました。その後、なるべく赤信号は渡らないようにしています。息子に何か教訓めいたことを言うのであれば、親も自らを律する必要が出てきます。

真夏の炎天下で、明らかに無視しても安全である赤信号の前で停止をするのはつらいですが、合理的な言い訳なしに赤信号で止まらないようなパパの助言を息子は受け入れない。当たり前だけど、実践の難しいところです。頑張っていこうと思います。

私には、「息子が自分の親の言うことを聞いてくれない。何度も叱って説明しているのに、なんでだろう。私の育て方が悪いのか。それとも、この子は遺伝的に馬鹿なのか。なんで分かってくれないのだろう」という悩みは一切ありません。(炎天下でも赤信号を守る必要はありますが、)「今のライフスタイルの方が幸せである」と私は感じております。

私は、「自分を変えるなら、身近なところから変えることが大事」であり、「自分の大切な息子との接し方から変えるのが、良いな」と感じております。



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