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愛の話をしよう。猫山課長のnoteにスキをつけたおじさん(おばさん)へ

今すごくスキを集めている猫山課長のnoteが面白かったのですが、「スキをつけてるおじさん(おばさん)ちょっとだけ勘違いしないでね?」を順を追って説明したいと思います。

“まさか、「あなたは世界に一つだけの花。誰からも侵害されてはならず、自分らしさを阻害してはいけない」だなんて仕込まれていないよね?

真実はぜんぜんわからないけど、君たちを見ていると怖くなってくる。

そして、同時に哀れに感じるんだ。”

私はゆとり世代なんですが、こんな価値観は若干あるんじゃないかなと思ってます。

というのも私の世代はうっすらこの傾向があるのです。つまり「あなたは自由だ!」みたいな感覚ですね。

恋愛観もお見合い文化みたいなものは皆無ですし、周りの結婚してない人も親から追い出されたとかは聞いたことありません。親からプレッシャーかけられてる。みたいなのもあんまり聞きません。

そんなことをすればすぐに毒親認定ですからね。つまり私の世代というのは、圧倒的に《自分の選択》みたいなものが良いとされているのです。

しかしこの《自分の選択》っていうのは少し厄介です。

自分の選択というのは、とどのつまり自己責任ということなのです。だって誰のせいにもできないでしょ?例えば、お見合い結婚での離婚率と自由恋愛での離婚率は下記の通りです。

お見合い結婚の離婚率は約10%と言われています。これは恋愛結婚の約40%と比べると3倍も低い離婚率です。

Google

これはお見合い結婚の方は(親が決めたこと)に対して自由恋愛は(自分で決めたこと)になるので《誰かのせいにできない》しんどさからきているのではないかと思います。

例えばなんですけどね。

親に決められた学校に行って嫌なこと(友達や先生、授業の難易度)があったとしても、それは親のせいで自分はしんどかった。という言い訳ができます。

しかし、自分で自分の好きな学校に進学した場合(専門性のある学校)しんどいなーと思っても逃げ道が無いんですよね。言い訳がないから。

学校が合わない。←自分で決めたでしょ?
友達が合わない。←友達なんて関係ないじゃん。
難しすぎる。←好きな学校選んだのに?

みたいな《言い訳潰し》が簡単に思いついちゃいますよね?これはすごーくしんどいことです。責任の自分ごと化ですね。

だからこそ私達は宗教に頼ったりします。

例えばイスラム教では、神の試練は「バラー」と呼ばれ、人間の信仰や忍耐を試すものとされます。

コーラン(イスラム教の聖典)には、「神は、あなたがたの中から、戦士と、堅く忍耐する者とを明らかにするために、あなたがたを試みられる。また、あなたがたの中の(信仰の)報告を知られるために、あなたがたの中から、証人たちを取られる。神は、不義を好まれる者ではない」という一節があります。

イスラム教では、神の試練は人間の信仰や行いを浄化し、神の慈悲や赦しを得るための機会になるとされます。

他にもユダヤ教では、神の試練は「ニッサヨーン」と呼ばれ、人間の信仰や従順さを試すものとされます。

旧約聖書の「創世記」には、神の試練の物語があります。

アブラハムは神によって選ばれた人でしたが、神はアブラハムに、自分の愛する息子イサクを犠牲にするように命じました。

アブラハムは神の命令に従ってイサクを連れて行きましたが、神はアブラハムの信仰を認め、イサクを助ける天使を送りました。

そして神はアブラハムに、自分の子孫を多くすると約束しました。この物語は、神の試練は人間の信仰や従順さを証明し、神の約束や祝福を受けるための機会になるという教えを示しています。

このように《何があっても神のせいにできる》というのは人間が生きるための"よすが"になるのですね。

しかし、現代人は総じて自己責任を"よすが"にしているふしがあります。それは自己啓発ブームの影響でしょう。

橘玲さんは自著の中でこう語っています。

必然的に「努力」という道徳的な義務が導き出される。状況を改善する可能性があって、その目標に到達できるのに、それをやろうとしないのは自分や社会に対する裏切り行為だからだ。  自己啓発のイデオロギーは、ぼくたちに「自己実現」という神の宣託を告げる。

残酷な世界で生き延びるためのたったひとつの方法
橘玲

と、ここまでは私やその下の世代達の《自己責任の申し子》の残酷さを説明してみました。

ここから本題です。

“まさか、「あなたは世界に一つだけの花。誰からも侵害されてはならず、自分らしさを阻害してはいけない」だなんて仕込まれていないよね?

真実はぜんぜんわからないけど、君たちを見ていると怖くなってくる。

そして、同時に哀れに感じるんだ。”

猫山課長

これにスキをつけたおじさん(おばさん)は勘違いしてないよね?って話しです。

私はここまで自己責任に苛まれる現代人の話をしてきました。

"よすが"を自己に持ってくる苦しみ、と言い変えればわかりやすいでしょう。

さて、なぜ自己にしか"よすが"を持って来れないのでしょうか?

それは現代の《ヒール(悪役)の受け取り拒否》が引き起こしていると私は思います。

現代の人(私やあなた)は美しく生きようとしています。最近は老化をみんな防ごうとしています。

腰のまがりきったおばぁさんや、真っ黒でしわくちゃのおじさんを見ることがなくなってませんか?

メンズメイクなんかも浸透してきましたし、全身脱毛も普通になってきてますよね?

まず、化粧水に関しては、2022年に行われたインターネット調査によると、男性の化粧水使用率は20代が67.8%、30代が66.9%、40代が64.7%、50代が60.4%、60代が54.3%となっており、全体で64.6%という高い割合になっています。

また、女性の化粧水使用率は20代が97.1%、30代が97.5%、40代が97.2%、50代が96.8%、60代が94.8%となっており、全体で96.9%というほぼ全員が使用しているという結果になっています。

さらに、化粧水の購買数は2019年から2023年までの間に約1.2倍に増加しており、2023年の化粧水の市場規模は約1兆円となっています。これらのデータから、化粧水は男女ともに広く利用されており、需要も高まっていると言えるでしょう。

次に、全身脱毛に関しては、2023年11月に行われた比較サイトの調査によると、全身脱毛を受ける年齢層は20代が最も多く、40代以降も増えているということです。

また、同じ調査によると、全身脱毛を受ける理由の第一位は「自己処理が面倒だから」で、第二位は「ムダ毛がコンプレックスだから」でした。

さらに、全身脱毛の市場規模は2019年から2023年までの間に約1.4倍に増加しており、2023年の全身脱毛の市場規模は約500億円となっています。

これらのデータから、全身脱毛は年齢を問わずに人気があり、需要も高まっていると言えるでしょう。

最後に、日焼け止めに関しては、2022年に行われたインターネット調査によると、男性の日焼け止め使用率は20代が42.6%、30代が41.7%、40代が40.5%、50代が38.6%、60代が36.2%となっており、全体で40.3%という結果になっています。

また、女性の日焼け止め使用率は20代が94.3%、30代が94.7%、40代が94.5%、50代が93.9%、60代が92.7%となっており、全体で94.2%というほぼ全員が使用しているという結果になっています。 

さらに、日焼け止めの購買数は2019年から2023年までの間に約1.3倍に増加しており、2023年の日焼け止めの市場規模は約3000億円となっています。

これらのデータから、日焼け止めは男女ともに広く利用されており、需要も高まっていると言えるでしょう。

つまり私やあなたはずっとキレイでありたいと思っているのです。

それは確かに良いことでしょう。しかし、問題として汚くなりたくない、汚いと思われたくないというホワイト社会になっているのです。

しかもそれはほんとうの意味での綺麗さ、ではなくて《醜いものを隠す》綺麗さなのです。

ドブネズミみたいに美しくありたい。ではなくドブネズミの見た目を隠して生きたいなのです。

そしてそれは見た目だけでなく精神にも及びます。「誰かに醜いと思われたくない!」という気持ちが強いのです。

それは部下への指導に表れています。

「君のためを思って言ってるんだよ?」

これはヒール(悪役)の受け取り拒否でしか無いのです。言い換えれば、

「黙ってやれ!」

で嫌われることが怖いのです。誰かに嫌な上司であると思われるのが嫌なのです。

田端慎太郎さんのように、嫌われようがほんとに人のためになることを言う、といったような昔ながらの上司は居なくなって(漂白されて)しまいました。

それは美しくありたい。という現代の病でもあるのです。つまりはヒール(悪役)の受け取り拒否なのです。

それによりこの世には《嫌な上司》は滅されました。しかし、そのせいで"よすが"を自己に持ってくるしか無くなったのです。

上司に対する不満や憤りで努力して来た人も多いでしょう。それはその上司がある意味ヒールを受け取っていたから成り立ったのです。

ひるがえってみて今はどうでしょうか?確かに少しのことでパワハラ認定されてしまいます。しかしながら、会社組織にはヒールは必要です。つまりは本来なら《不満のよすが》が上司だったはずなのです。

ところが美しくありたい。見られたい上司の増加により、《不満のよすが》は自己に巻き取られてしまいました。

これは最初にあげた、お見合い結婚と自由恋愛の離婚率と同じです。《不満のよすが》を親が引き受けないことにより、離婚率は上昇しました。

つまり私が言いたいのは、

猫山課長のnoteにスキをつけたおじさん(おばさん)はヒール(悪役)の受け取り拒否をした自分を正当化していませんか?

ということなのです。

《不満のよすが》を受け切ることは並大抵ではできません。しかしそれは人類にとって神に"よすが"を寄せていたように、上司は部下にとって《不満のよすが》を自己に向けさせず成長させる"よすが"になるべきなのです。

それがある意味大人の役割ではないでしょうか?倒されるべき悪役になるのが大人なのではないでしょうか?

仲良しこよしでヒールの受け取り拒否をして、自分はできたであろう《不満のよすが》の矛先を自己(部下)に向けさせていたのでは小汚い上司にしかなれません。

ドブネズミみたいに美しくありたい。写真には写らない美しさがあるから。もしもいつか僕が君と出会い話をするなら、そんな時はどうか愛の意味を知ってほしい。

リンダリンダ
THE BLUE HEARTS

それでは、また、次回。

あどりでした。

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