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宣伝活動が大半を左右する

長いこと音楽活動をしている一人として思うところがある。公の場に放つ作品をもっと広範囲に向けて宣伝するべきだろうか、と。私達のスタンスとしては、たまたま目に止まり気になってくれた方達が聴いてくだされば良いと思っているので、こちらから「聴いてください」とお願いすることはしたくないというところ。なので、ハッシュタグを利用して広範囲に向けて公開はしているものの派手なアピールは控えていた。


ハッシュタグを辿りTwitterではファボ、YouTubeではグッドボタン、Instagramではイイネを頂く度にその方たちのホームへ出向き聴いたりする。その行いこそが宣伝活動なのだと気付く。今まで知りもしなかった存在をファボなりイイネなりこちら側に気付かせることにより、新規のリスナー獲得の可能性を得る。行動力のある人達は特にこの運動によって輪を広げ、自分をアピールするということに長けていると感じた。中には「頑張ったので是非聴いてください」「まだ聴いていない人は聴いてください」などと、絶対的な自信を持った発言をする人も多い。作品が本当に上手いかどうかの話はまた別だ。実は、お世辞にも褒めることができない作品も当然ある。だが本人は自信を持って世の人に聴いてもらおうと自ら行動を起こすのだ。私には、いや私達には無かった行動力だった。確かにまず聴いてもらわなければ何も始まらない。何も始まっていない。


「いいね」を貰った順に私達は彼らを辿る。正直なところをいうと、本当に良いと思ったモノだけに「いいね」を付けたいと思っている。無差別に「いいね」を付ける行為は、本当に素晴らしいと思って付けた「いいね」という賞賛を無意味にしてしまうから。努力の値はそれぞれで、本人にとっては100%の力を出しているかもしれないし、そうではないかもしれない。100%の力を出したいと思っているのに、出せていないかもしれない。好みの違いにより私には「いいね」を押せなくても誰かには心に響く作品かもしれない。こればかりは基準があるようで無い。一人一人が自身の中に基準があるだけだ。音楽でも映画でも絵画でもそういうものだと思う。心に響く作品は人それぞれ。だからこそ、本当に素晴らしいと思ったものに対して誠意のある応えをしたいと思う。つまり、誰の目に留まるかどうかもわからないのなら、聴いてもらえる環境をこちらも意識しなくてはいけないのだと思った。


アピールは重要。二人で話し合った結果「たまたま目に触れて聴いてくれる人がいればいい」という環境を増やすべき。となった。聴くに耐えない、という人もいるだろう。好みが合わず、良いと思わない人もいるだろう。それはこちらも同じ。ならば、聴いてくれる人を今よりも増やすために、自分たちが行動しなくてはなにも変わらない。そう思うようになった。


作品を世に発信するということは、とてもシビアな世界だと思う。作品自体を見ず、その人が嫌いだから見ない、聴かない、触れない。などという偏った評価もある。プロの世界でも当然ある。もしかしたらプロの世界の方がもっと厳しいのかもしれない。それでも「素晴らしい」と評価をしてくれる人が一人でもいてくれるなら、それはもう既に大成功なのではないかと思う。


世のクリエイター達 臆することなかれ
作品を世に放った瞬間が大成功なのだ
少なくとも私はそう思う。

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