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日本の古代史1

No.2
記載日五月十五日
第一章 鵜葺草葺不合(ウガヤヒキアエズ)
一節 誕生迄
岩波文庫 日本書紀(1) P162〜
 山幸彦の彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は倭国で海神の娘豊玉姫を娶って3年が経ちました。

 豊玉姫が帰りたがって居ると父の海神に告げた。
父は送ると告げた。探してあった釣り針を返す時に次の様に言った。
兄海幸彦への返却時に貧鉤と針に告げよと。
潮満瓊(しほみちのたま)と潮涸瓊(しほひのたま)を授け、兄を懲らしめよと告げた。

 豊玉姫は妊娠して居ます。風濤(かぜなみ)の穏やかな日に海浜に出て、出来れば産屋を作って下さいと告げた。

 海幸彦は既に勢いが無かった。

🟢此時期九州では噴火が有りました。この事を表現して居ます。
兄の海幸彦は災難ですよね。(発見者検索中)🟢

兄海幸彦の火闌降命(ほすせりのみこと)は阿田君小橋等(あたのきみをばしら)の本祖(とおつおや)です。
🟠日本書紀記載🟠

 豊玉姫は妹の玉依姫を連れ風波を避けて海浜に到着した。
お産は見ないで下さいと頼んだ。が、山幸彦は見てしまった。
豊玉姫は竜又は鰐になって産んだ。

 海陸が永く隔てられて居る様だと言って、茅で産んだ御子を包み、浜辺に置いて、海上に去った。

 トーテムの違う民族の結婚が破談になった事を示して居ます。
しかし、鵜葺草葺不合は海神:南シナ海に有った倭国と忍穂耳ーニニギー山幸彦: 火闌降命系統との子です。
 換骨奪胎により、ニニギとニギハヤヒが入れ替わって居ます。

 ニギハヤヒ天照国照彦火明櫛玉饒速日命とニニギ天津彦彦火瓊瓊杵尊は別系統です。
 伊勢神宮のアマテラスと熱田神宮の火明命はニギハヤヒの正式名称を3分割したものです。
 ニギハヤヒは25部衆(ニギハヤヒ系物部氏)と共に紀元前に東征して居ます。
 ヤマトタケルは紀元後200年代に、ニニギ系物部氏と共に東征して居ます。
 イザナギースサノオーニギハヤヒーアメノオシホミミーニニギー火照命ー彦ナギサー神武天皇
スサノオの子供とニギハヤヒの子供も換骨奪胎で入れ替わって居ます。
 更に、ウガヤフキアエズは、著者の専門分野の単語解析により、有明海沿岸の住人です。ヒコナギサは遠賀湾や福岡湾、唐津湾の住人です。
 二人の名をくっ付けた様です。

💮凄いでしょう。キチンと判明するのです。💮

 岩永姫は邇邇芸に帰されて居ますので、岩永姫以降の人物の名は、神武天皇の和風諡号の様に現代風に変異して居ます。
 しかし、ウガヤフキアエズは意味が取れます。従って此系統では無い事になります。

ね❣️凄いでしょう

 御子を彦波瀲武鸕(茲+鳥)葺草葺不合と言う。 
 彦火火出見尊崩りました。日向の高屋山上陵(たかやのやまのうえのみささぎ)に葬りました。

 熊本県を流れる緑川以北が菊池氏の本拠地です。
 東に神武天皇のお祭り神皇祭を4月6日に行う幣立神社が有ります。16000年前創立と有ります。

倭国の歴史はもっと古いのです。



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