見出し画像

北見のハッカに感じた「明治の残影」

初めて訪れた北海道北見市は、予想していたより開けたまちでした。

北海道の東部、大雪山国立公園・石北峠からオホーツク海まで東西に110kmという、北海道で広い自治体。人口は12万人。予備知識がカーリング女子チーム「ロコソラーレ」が拠点を置いているまち(申し訳ない!)ぐらしかなく、ちょっと驚きました。

ロコソラーレといえば、エースの藤原五月選手を至近距離で見かけたことがあります。2018年3月、青森市の「大戸屋」で夕飯、会計を済ませようとし、ふと横を見たら藤沢選手が友人と談笑していたのです。

平昌五輪で銅メダルをとったばかり、カーリング及びロコソラーレの人気が爆発、「そだねー」が流行語になっていた時です。青森市で日本の大会がおこなわれていました。

「わっ、藤沢選手だ!」と内心、一瞬だけ舞い上がったのですが、そこは紳士の嗜み(?)で素知らぬ顔で会計を済ませて店を出ました。でも、すぐあとで友人に「おいっ、藤沢選手を見たゾ」と話し、思いっきりミーハーっぷりを発揮し、お恥ずかしいかぎり。

おじさんが大はしゃぎさせるほど、そのときの藤沢選手は可愛かった。氷上とは違い、友人との食事でリラックスしていたからでしょう。

――話が脱線してしまいました。ロコソラーレが普段練習しているのは北見市内でもちょっと離れた、オホーツク海に面した常呂町。今回は訪問を諦めました。

世界を席巻した「北見ハッカ」

時間がなかったので、とりあえず宿泊先のホテルから徒歩で行ける観光スポットを探し、見つけたのが「ハッカ記念館」。JR北見駅から徒歩約10分で行けます。

ハッカはハーブの一つで、スーッとする清涼感ある香りが特徴です。ガムやキャンディーなどのお菓子、歯磨き粉、医薬品など私たちの生活にもなじみ深い。

いまではミント(洋名)のほうが一般的ですが、厳密にいうと北見で栽培されてきたのは、日本に自生している和種ハッカ(薄荷)。


北見ハッカ記念館

明治35年頃から生産が始まった北見ハッカは昭和14年に全盛期を迎え、当時世界薄荷市場の約70%を占めていたというから、すごいですね。知りませんでした。

「思いのほか開けたまち」という最初の印象の秘密が解けました。

北見ハッカはかつて一大産業だったのです。

ハッカは、乾燥した葉を水蒸気で蒸留させて作られるのですが、200kgの葉から採れる精油はたった2%の4kg。当初は農民が手作業でおこなっていたのをホクレン(北海道の農協連合会)が機械化。それが「ホクレン北見薄荷工場」で、経済産業省から日本近代化産業遺産として認定されています。

いずれにせよ、ハッカ作りにはたくさんの人手が必要なのです。農家はもちろん、流通んど多くの人が北見へやってきました、

現在は工場の一部が残されており、ハッカ作りの実演をおこなっており、自前のアロマスプレーを作ることができます(有料)。

工場に隣接する事務所兼研究所だった建物が「ハッカ記念館」として公開されたのが昭和61年(1986)。「北海道遺産」にも認定されています。今回訪ねるまで知らなかった不覚を恥じるのみ。

「北見が世界のハッカ市場の70%を占めるほど有名だったこと知ってもらえればけっこうですよ」

工場の説明をしてくれた女性が慰めてくれたので、つい、「おすすめのご当地グルメは?」を聞くと、焼き肉、回転すしトリトン、オホーツク塩焼きそばの3つをあげてくれました。

北見市は「焼き肉のまち」をアピールしているようです。回転すしトリトンは北海道では知らない人がいないくらい有名で、東京にもスカイツリーのソラマチに出店しており、その本店が北見にあります。オホーツク塩焼きそばはB級グルメで、オホーツク海で採れたホタテを使うのが決まり。

どこを訪ねても「明治」の残影が

どこを訪ねても「明治」の残影がある、のが北海道です。

北見もしかり。もともと原生林と野生動物が生息する地に、明治以降、人々がやってきて開墾し、一時は世界市場をリードする産業に育てたのですから。明治の人は偉かった。

最後に、この地方ゆかりの歌は何かと探したら「知床旅情」がありました。

北見市の東隣、オホーツク海に突き出た知床半島。かつて(いまも)秘境といわれたこの地を全国区の観光地へ押し上げた歌です。

昭和40年(1965)にリリース。作詞・作曲は森繁久弥。同45年に加藤登紀子盤が発売されてから人気に火がつき、累計140万枚の大ヒット曲に。

ゆったりとしたメロディにのせて歌っていると、はるか北の秘境への憧れをかき立てられます。オカリナの定番曲です。

(Misuzu ocarinaさんの「知床旅情」。AF管の低音が曲調にあってます)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?