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「アネット」アート映画は、まやかしか?

どうも、安部スナヲです。

「エンタメ映画」か「アート映画」かというと、後者なんだろうなというところが鼻持ちならない気分もあったのですが、スパークス原案のこの「アネット」とドキュメンタリー映画「スパーク・ブラザーズ」は、どちらも観に行かないと勿体ないような、抱き合わせ的なムードに気圧され、観て来ました。

受け入れ難い部分もありましたが、とにかくスゴいもんを観たという感慨が残る映画でした。

【レオス・カラックス】

20代の頃、「ポンヌフの恋人(1991)」という映画を観ました。

映画好きだった父に「イングリッシュ・ペイシェント(1996)」に出ていたジュリエット・ビノシュという女優がとても良かったという話をしたところ、「それなら『ポンヌフの恋人』を観てみ」とすすめられたからです。

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小汚い役なのに奇跡みたいにきれいだったビノシュには惹かれましたが、映画としては全体的に眠いトーンが苦手で、よく「小難しいフランス映画」と呼ばれる象徴みたいな、あまり良くない印象を受けました。

その映画の監督が本作「アネット」のレオス・カラックス。

なるほど、この人がデビュー当初「ゴダールの再来」と呼ばれていたことを思うと、さもありなんという感じです。

今思えば、父は所謂ヌーヴェル・バーグ直撃世代で、ゴダールの映画も好きだったので、その系譜としてもカラックスに注目していたのかも知れません。

最近「ポンヌフの恋人」をあらためて観たのですが、長年思い込んでたほど哲学的でもシュールでもなくて、ただのダメカップルのメロドラマでした。

一体、小難しいフランス映画の何が小難しいのか、今となってはわかりませんが、画面から漂う小難し気な何か、意味あり気な何かは確かにあり、その「尖ってるやろ?深いやろ?」というムードは、やはり今でも鼻につきます。

こういう場合の「鼻につく」は、内心憧れているが得体の知れないものへの反応だったりします。

私は「アート映画」と括られる映画を観ると、しばしばそのように「鼻につく」感覚を抱き、カラックスなどはその典型だったのかも知れません。

【ちゃんと面白いアート映画】

しかしながらこの「アネット」を観て、カラックスに対するそのような偏見も、どうも引っかかっていた「アート映画」というものの捉え方も、少し変わりました。

というかこの映画、エンタメ映画として十二分に面白いんです。

まずはストーリー。

野心と自意識剥き出しのスタンダップコメディアン、ヘンリー(アダム・ドライバー)は人気オペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)と結婚。

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はじめは仲睦まじかったが、自分の芸がウケなくなったあたりから、安定した活躍を見せる妻に嫉妬するようになり、次第に自暴自棄に。やがてある悲劇が起きる。

2人の間には「アネット」という女の子が産まれていて、この子は不思議な力を持っている。ヘンリーは我が娘が持つ「不思議な力」を利用し金儲けを目論むが、それがさらなる破滅を招く…。

例によってネタバレを回避したいため、煮え切らない記述ですが、あらすじはこんな感じです。

ストーリー的には、ファンタジーとサスペンスがいい塩梅で混じり合い、飽きない展開の上サプライズもある。万人ウケを厭わないキャッチーな内容です。

この映画の何がスゴいって、このプロットを全編スパークスによる音楽と、台詞の90%が歌というミュージカル仕立てでやり切るんです。

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ミステリアスな美しさを持つカラックスの演出と、オペラ的高尚さを保ちつつもキッチュなスパークスの音楽が合わさって、確かに今まで見たことのない世界が仕上がってます。

誰が観ても面白いストーリーでありながら、映画の概念に収まり切らない独自の表現形式を持つ、まさに、ちゃんと面白いアート映画が本作「アネット」の印象です。

【過去イチのアダム・ドライバー】

その極めて独創的な世界とアダム・ドライバーとの相性が、これまたバッチリなんです。

今や彼は、近年の名作・大作で出ていない映画を探す方が難しいというほどの大俳優ですが、この映画こそがベストアクト!と思わせられるほど、彼の熱演は秀逸です。

そもそもマントヒヒみたいな顔とか、ややモッチャリした歌唱(台詞)が、既にヘンリーという人間の胡散臭さ、俗悪さを際立たせていますが、輪をかけて見事なのは劇中2度出て来る長回しのコメディ舞台シーン。

1度目は大盛況。
2度目は大ブーイング。

細かくは書きませんが、これらのシーンでは下世話で下品な芸風がウケる時と嫌悪される時の差はどこにあるのか。とてもよく表されています。

そして最低な傲慢さで、妻や娘を抑圧するモラハラっぷり。

モラハラで済むならまだええわ!と思わしめるサイコな危うさ。

この人の怪物級の演技力に、ひたすら圧倒されました。

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【人形劇ではなかった筈だが…】

この映画でひとつだけ、どうしても受け入れ難いことがあります。

それはアネットが人形ということです。

人間が演じる実写映画で、人間の子として産まれたアネットが、何故人形?

こーゆーとこなんです!

私が多くのアート映画と呼ばれる作品に疑問を抱くのは…

例えばエンタメ映画であれば、SFであれホラーであれ、非現実的な設定や超常現象に、フィクションなりの根拠があります。

西から昇ったお陽さまが東へ沈んで「これでいいのだ」ですませられるナンセンスギャグの世界ならいざ知らず、納得できてもできなくても物語上のロジックがあるからこそ、安心してフィクションの世界に身を委ねることができるのです。

アネットが人形であることの意図は、つまりはこういうことでしょう、彼女が持つ特別な才能を親から利用され搾取される様はまるで操り人形であり、それを偶像化したのだと。

だがちょっと待ってくれ!

他の登場人物はすべて生身の人間であり、物語の設定上、魔法や超常現象的な要素はどこにもないのに、そこだけピンポイントで偶像化するのか?それがアートなのか?そんなことが許されるなら「アートですから」と言ってしまえば何でもアリではないか。

しかもこのアネットちゃん、最後の最後だけ人間の子役に擦り変わるのです。

はいはいはい、親のシガラミから解放された彼女は漸く人形から人間になりましたってか?はぁ?片腹痛いわ!

これらに関し、パンフレットに記載されているインタビューでカラックスが語っていることがまた腹立たしい。

まずアネットが最後は人間になることについては「そこはこの映画のピノキオ的な側面でありー」

いやいやいや、ピノキオは前提が妖精ですからぁ!

そしてアネット役のデヴィン・マクドウェルについて、子役を見つける過程で出会った少女の中で「一番幼く、集中力も一番短く、一番予測不能だった。だけど僕が映画に撮りたいと思ったのは彼女だった」

結局、撮影を進めるにあたり、全編子役で通すのは無理だったから人形にしたとしか思えないんですよね。

実際、映画を作るには現実的な困難は多々あるのでしょうけど、アート映画を笠に着て、ご都合主義を通すのってどうなん?

と、こんなイジワルを言うのは、私の中に「アート的なるもの」への妬みが多分にあるからだということは、否定しません。

でもさぁ、この人は先に挙げた「ポンヌフの恋人」で、実物に近いポンヌフ橋のセットをわざわざ作ったほどの完璧主義者なんでしょ。

なーんて、オレってヘンリー並みに小さい男やな。



出典:

レオス・カラックス『アネット』劇場パンフレット


4月1日(金)公開! 映画「アネット」公式サイト – 2021年カンヌ国際映画祭・オープニング作品・監督賞受賞


アネット : 作品情報 - 映画.com


ポンヌフの恋人 : 作品情報 - 映画.com

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