アルピーヌ・ルノーA442B製作期Lap3~FINAL LAP

やっと必要な物が手に入り、遂に製作開始。出来ることなら、予備の配線も購入したかったが、出費を抑えたかった為、あえて購入する事をしなかった。そして、製作開始。もう方針自体は決めていた為、案外楽に進んだ。本来は、ル・マン見終わってからやるつもりが、ダラダラ長引いてしまい、今日に至った。そして、今日は、沼津に脱走しようと計画していたものの、まさかの雨でおじゃんに。せっかくだから、作ってみるかという事で、やってみたが、如何せん配線との格闘で神経をすり減らしてしまっていた。だが、その後がかなり楽だった。ただ、ニッパーがどっか行った為、作業する際、かなり、苦労していた。残念ながらデカールは、44年前ということもあってか、経年劣化が酷かった為、割愛したが、完成してみると、あんな小さい模型には、当時を物語ってくれる歴史がギュッと凝縮されていたりもしている。それ程、プラモデルというのは、奥が深い物なのだ。ちなみにこのマシンは、ル・マン制覇の為だけに生まれたが…実は、風防のせいで、前方視界が、あまりにもよろしくなく、挙句の果てには、ディディエ・ピローニと、ジャン・ピエール・ジャブイユーという大御所ドライバーも2人揃って「閉所恐怖症」というとんでもコンビ。暗所恐怖症じゃないだけマシか。でも、ルノーからしてみれば、さっさとル・マン制覇して、F1に集中したかったというのが強かった。そして、2015年、ル・マンに再び「アルピーヌ」という名が復活し、青色のマシンが駆け抜けた事は、記憶に新しい。翌年は、ジャッキーチェンさんち所からのエントリーだったが、それでも速かった。ちなみにジャッキーチェンさんち所は、なんとジャッキーチェンさん本人が全戦帯同しており、富士ラウンドにも来ていたりしていた。なんて言うのもあるが、今となっては、このマシンもこれも「過去の話」として、片付けられてしまっている。だけど、「歴史」を語り継ぐ上に置いては、大変重要な車でもある。そして、ル・マンの歴史を語り継ぐ上でも、大変重要な位置づけにいる1台だ。あの時代からもそうだが、日本勢も数多くル・マンに挑戦している。そして、2018年に、あるひとつのメーカーが20年越しの「プロポーズ」を成功させた。俺は、その瞬間をリアタイで見ていた。俺は、「歴史の目撃者」の1人になることが出来た。残念ながら、デイトナ24時間は、5年前のDPI規定になってから見ていたものの、ゴールまでは見れずじまいだ。何故ならば、その日が学校だからだ。ル・マンは、2012年から、ほぼ毎年見ている。あとは、デイトナのトヨタ88Cを作ることにした。


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