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孤独の部屋

実家を出て、初めて部屋を借りたのは10代の頃だった。

ずっと実家を出たかった。簡単に言えば私の家庭は崩壊していて、家族が自宅に居る時に安らいだ記憶は少ない。もちろん良い思い出が無いと言えば嘘になるけれど、圧倒的に苦しい記憶が占めている。今でもたまに夢を見て、苦しくなる事がある。何度も逃げたしたくて実家に居たくなくて、遅くまで外出していると父は怒り母は泣いた。父の怒りも嫌だったけれど、母の涙が一番堪えた。自身が原因で見る他者の悲しい涙というのは、自分が悲しむ時より罪の意識に苛まれてずっと苦しい。その涙を見たくないけれど此処にも居たくない。あと、情緒不安定で躁鬱を繰り返す父の側に居ると自分自身も病んでくような気がしてキツかった。

いつ、家を出よう、と決めたのか記憶にない。アルバイトでお金を稼ぎ、必要最低限の金額が貯まったところで一人で不動産会社へ出向いた。地元に居たくなかったし毎日名古屋へ行く必要がある状況だった為、迷わず名古屋の賃貸を探しに行った。スタッフの方が私の年齢を聞いて非常に驚きながらも、丁寧に対応してくれた。心理的瑕疵物件でなければなんでも良かった。お金に余裕がなかった為敷金礼金ゼロで探していると伝えると、初期費用が非常に少なく退去費用も掛からない、という物件を紹介してくれた。初めての内見。迷わずその部屋に決めた。その日に書類を書き上げ保証人のサインだけ貰えば契約、という所まで準備をした。

両親には何も言っていなかった。

「一人暮らしするからサインを下さい」

そう伝えて両親の目の前に契約書を出した。母は薄々気付いていたのだと思う。家を出ようとしている事も、家を出たい理由も。「心配だけど」そう一言だけ呟いてサインをくれた。

父にはかなり怒られた。「勝手な事をして」とか「お前が一人で生きていける訳ないだろ」とかそんな言葉を聞いた気がする。結局、私自身の心配や気持ちよりもあなたは体裁や束縛を優先するんだね。なんとなく、そうやって言われる気がしていたからかなり冷静だった。

「因果応報ですよ」

それから1週間、父との全ての受け答えを敬語で対応していた。子どもが居る人からしたら批判を受けそうである。今の私が振り返ってもむちゃくちゃな事をしている、と思う。父が一番傷付く言葉や方法がなんとなく分かった。一番有効な方法は『他人になる事』だと思った。当時の私はその方法を実践した。結果として父は泣きながら「一人暮らしは許すから敬語はやめて」とサインをした。その頃の自分の感情が思い出せない。何を考えていたか分からない。断片的にしか記憶もないから、精神的にギリギリだったのだと思う。


12月1日。どうやって引っ越ししたかは思い出せない。たぶん誰かの車で少ない荷物を持って行ったのだろう。誰の声も聞こえない。何も物音がしない。冷たいフローリングの床に寝転んで真っ白な天井を見た。

私は解放されたんだ。

歓喜ではなかった。どちらかと言えば、もっと家族と円満に幸福な日々を過ごしたかった。そんな願いが叶わなかった事を身に染みて感じ、静かに涙が頬を伝った。

少しずつ新しい暮らしが馴染んでいく。近所にペットショップがあって少し覗きに行ったら爬虫類とかハリネズミを販売していた。その中に売れ残って値下がりしているハリネズミが居た。余りに警戒心が強く他のハリネズミと仲良く出来ない程らしい。あとひと月くらいで処分される予定との事。

「お前も一人なんだな」

気付いたらそのハリネズミを購入していた。

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好きな時間に好きな音楽を聴き好きな物を食べて、深夜に家を出て遊んだりして、家に居る時はハリネズミに餌をあげて眺めてたりした。警戒心は変わらず強かったから余り戯れたりはしなかったけれど、飼育ケースに私が近付くと顔をあげてこちらを見ている姿が可愛かった。

ベランダで野菜を育てた。ミニトマトだけは実がならずただの茎と葉っぱだった。大豆をたくさん購入して味噌を作った。ちょっとしょっぱい白味噌が出来た。実家に居た時から若干患っていた自律神経失調症を治そうと思って健康的な食事と運動を心掛けた。途中からランニングが楽しくなって毎日10kmくらい走っていた。気付いたらすごい健康的な感じに痩せた。自律神経失調症も治った。日中は働いてるか勉強をしていた。

日常になっていた。他者の精神で自身の精神状態が振り回されない。父が怒っている時の扉を閉める音や物が壊れる音もしない。母の泣き声も聞こえない。人生で初めて誕生日を一人で過ごしたけれど、幸せだった。

ある時、なんとなくマンションの最上階に行ってみた。

昔から高いところが好きで、何か景色が見えるかも、という好奇心だった。エレベーターで辿り着いた最上階の階段は、まだ上へ続いている。何処へ行くのだろう。自然と階段の方へ歩みを進める。自分の背より高い柵があって、誰も見てる人居ないよね、と周りを確認してからよじ登った。風が身体を煽る。柵の冷たさを手のひらを通して感じる。柵の向こう側へ足をおろす。

目の前に広がっていたのは広い空と、名古屋の街並みだった。

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遠くまでビルやマンションが続き自動車が絶え間なく行き交う。屋上に立つ私に誰も気付かない。この街に多くの人が居て、多くの感情が日々を交差する。自身の家庭も切り取って見れば小さな出来事で、ある人から見たらただのフィクションの様に感じるのだろう。本当は家族と暮らしたかったし笑いたかった。当たり前の子どもで居たかったし学校の友人と遊びたかった。けれど今此処に立っている事は正しい選択だっただろう。

孤独だった。けれどその孤独は心地良かった。孤独であるという事は、自由でもあるのだ。

あれから引っ越して今は別の部屋を借りている。飼っていたハリネズミは亡くなって今は60cm水槽で金魚を飼っている。いつの間にか両親は離婚し私は母の籍に入った。きっと実家には父が住んでいるのだろう。今も一人暮らしではあるけれど、連絡をすれば遊べる友人が居て、遊びに行く場所もある。恋人とそう遠くない未来の話をして、現在が最後の一人暮らしになればいい、と願っている。

もうあの部屋に暮らした頃の事は殆ど思い出さなくなった。けれど、あの部屋は私にとって希望の場所だった。

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