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リスクマネジメントの多層性と多様性

3月のオンラインセミナーに向け、現在鋭意準備中です。ということで、大学院研修の頃に筑波大学で講師をされていた吉川肇子先生のこの本を読み返し、さまざまな学びを得ました

吉川先生は心理学がご専門で、本書も内容の多くがリスクコミュニケーションやリスク認知に関するものでした。結論から言うと、リスクマネジメントやリスクコミュニケーションにはなんでも当てはまる(one-size-fits-all)な手法はないこと、社会的リスクと個人的リスクは対応アプローチが異なること、そしてリスク対応において専門家が必ずしも秀でているわけではないことの3点が印象的でした。

別の表現をすれば、リスクマネジメントの利害関係者(ステークホルダー)は、社会構造の中で水平的(あるいは面的)に多様であり、垂直的に多層であるので、それぞれのポジション(位置)とレイヤー(層)に応じたコミュニケーションが必要だということです。たとえば、リスクを受け入れてもらうために説得するようなやり方は、個人のリスクに対しては有効でも、社会的リスク(たとえば原発の運用、ワクチン接種など)に対しては否定的な効果を生み出すことが往々にしてあるという点です。そしてそのようなアプローチは、専門家ほど取りがちであると指摘しています。

コロナ禍でワクチン接種を進めるにあたり、ワクチンの副反応(本書では「副作用でしょ」とバッサリ切り捨てています)によって認知される個人の不安は、各個人が置かれている状況に応じて異なります。さらにそれを国家レベルで進めるとすると、政策という何層も上のレイヤーで個人に統制をかけざるを得ず、結果的に個人のレベルでは「不安な感情を無視された」という思いがしこりとなって残ります。

また、ワクチン接種の推進に対する意見も、国のような政策決定者、医療関係者、社会運動家、消費者など、アクターそれぞれのポジションで異なります。それらを全て満足させるようなリスクマネジメントを企画・実行するのは至難の技であり、ほぼ必ずと言っていいほど、どれかのアクターが不満を残すことになります。

リスクマネジメントにおいては、利害関係者となる主体が多様であり、多層であることを認識することが重要です。そして、各主体がこの「リスクマネジメント空間」のどこに位置しているのかを見極め、各主体とどのようにコミュニケーションを進めるのかを個別に検討する必要があります。そこを誤ると、リスクコミュニケーションが成立しないどころか、逆に反対者の態度を硬化させてしまい、目的達成が遠のくという結果になる恐れがあります。

組織に属していると、組織やそのメンバーを取り巻く関係者(家族、友人、取引先など)は「こちら側の人」という意識になりがちです。彼らが組織からメリットを享受している間は、そのような関係であることはしばしばでしょう。しかし、ひとたび不利益が発生すると、関係者は反対の立場に回ることがよくあります。組織に「裏切られた」とか「守ってくれなかった」という感情を持つようになるからです。そして、そのような人たちに近寄り、自らの立場や利益を追求しようとする第三者が現れるなど、事態が急速に複雑化・悪化していきます。

ひと頃、アメリカで「Ambulance Chaser」と言われる、交通事故の被害者を乗せた救急車を追いかけて、加害者との示談や裁判で儲けようとする弁護士を揶揄する言葉が流行りましたが、組織防衛上のリスクマネジメントを考える場合は、できるだけそのようなアクターの発生を防ぐか、排除するような施策を実施する必要もあります。そのためにも、リスクマネジメントの多様性と多層性の意識は、常に持っていたいものです。

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