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リスクマネジメントとしてのセレモニー

安倍元首相の国葬儀(国葬)が終了しました。賛成と反対の議論が挙行直前まで繰り広げられましたが、式自体は整然と執行された印象です。勤務先が武道館からほど近いため、警備が物々しい印象でした。

セレモニーは誰のためのものか?

人生にはさまざまなセレモニーの場面が存在します。一例ですが、誕生後はお宮参り、端午の節句や桃の節句、七五三、成人式や結婚式、そして最後を締めくくるのがお葬式でしょう。そのほか、卒業式や記念式典など含めると、セレモニーと呼ばれるものに酸化する機会は数え切れません。では、これらのセレモニーは一体誰のためのものでしょうか?

セレモニーには、本人のためのものと、本人以外のためのものがあると考えます。前者の代表は結婚式や成人式、そして後者の代表がお葬式でしょう。法事も含まれるかもしれません。子供の頃、祖父の葬儀で母が呟いた「葬式は生き仏(残された者)の集まり」という言葉を、その当時の自分は理解できませんでした。しかし、半世紀以上生きてくると、その言葉の重みが沁みてきます。旅立った者と残された者、両者の間に横たわる距離を残された者が受け入れるためのプロセスが、セレモニーとしての葬儀の意味だと理解しています。

リスクマネジメントとしてのセレモニー

一方、セレモニーをリスクマネジメントの視点で観察すると、別の側面が見えてきます。「儀式なんて形ばかり」とか「儀式をやる意味なんてあるのか」という意見を耳にすることがありますが、リスクマネジメントとして考えると、整然としたセレモニーを挙行することで、参列者は心の整理ができ、その後の時間を前向きに過ごせるようになります。そしてそのような機会を提供した個人や組織への信頼感や支持が高まるという効果が期待できます。結果的に、個人や組織の活動を阻害する要因の影響リスクを減少できると考えられます。

前職の自衛隊では、所属していた部隊の航空機が墜落する事故を2回経験しました。いずれの事故でも、駆けつけた家族の悲しみや、やり場のない怒りは相当なものでした。そのうち一つの事故では、墜落現場付近で遺族の現地慰霊訪問の受け入れを行いました。その際に心掛けたのは、いかに安全を保ちつつ整々と慰霊行事を行うか、そして遺族のお気持ちの安寧をいかに保つかでした。慰霊登山後、遺族より感謝をいただいたことは、今でも記憶に残っています。それは一つのイベントが無事に終了したということではなく、遺族が亡くなった隊員とのふれあいの時間を、組織としてサポートできたということでした。それはつまり、リスクマネジメントの視点で捉えれば、組織とご遺族の関係が悪化し、組織の活動に対する悪影響や阻害要素が現実化するといったリスクを低減できたということでした。

セレモニーの「負の側面」

とはいえ、セレモニーが負の意味を持つ可能性についても留意する必要があります。典型的なのは、セレモニーが対象を政治的にシンボル化する手段に用いられることです。歴史的に見れば、権力闘争の勝者が敗者を手厚く取り扱うことは稀といっていいでしょう。商社が敗者を誅することもたびたび行われました。それは、敗者が一種の「殉教者」的存在となり、将来的に対抗勢力復活のきっかけとなる禍根を未然に除くためであるとされます。逆に、セレモニーが自己正当化の手段に使われる例も数多くあります。セレモニーの意義は、最終的には参列する個々人の心の問題に帰着するものです。そしてセレモニーがどのような文脈で参列者に理解されるのかを、主催側は意識する必要があります。

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