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なぜリスクを取れないのか

この連載は、リスクマネジメントを中心テーマとしています。リスクマネジメントとは、その名のとおりリスクを管理することであり、言い換えればリスクにどのように対応するかということです。詳しくは別稿で解説しますが、リスク対応はリスクを取り除く「リスク除去」、リスクの影響を小さくする「リスク低減」、リスクを避ける「リスク回避」、リスクを自分以外の別の主体に付け替える「リスク転嫁(またはリスク移転)」、そしてリスクを受け入れる「リスク受容」に分類されます。

これらの対応を実行した後に、それでも残るリスクを「残留リスク」と呼びますが、残留リスクは基本的に受け入れるしかないので、理屈の上ではリスクマネジメント後に残るリスクはゼロになります。正確には、まだ明らかになっていないリスクや、特定されていないリスクが残留リスクに含まれますが、それらの認知されていないリスクをリスクとするかはまた別の議論としましょう。

リスクに関する「誤解」

日本人はリスクを取るのが得意でないと言われています。親が子供に就いてほしい職業の1位が公務員というのも、その現れかもしれません(実際には公務員でいることのリスクも小さくはないのですが)。なぜリスクを取ることが苦手なのか。その理由として考えられるのは、「リスク」の理解そのものにあると思います。

リスクの理解度は、次の英文をどのように訳するかでわかります。
We have to risk our lives.
正しい訳は、「我々は命をかけなければいけない」です。吉と出るか凶と出るかわからない中、場合によっては命を落とすかもしれないという状況が、この分の背景にあるからです。命を落とすかもしれませんし、逆に無事に状況を脱することができるかもしれません。ここでリスクを「危険なこと、よくないこと」といった「現象」と理解していると、この英文を訳することができません。

もっと具体的なシーンを想像してみましょう。登山中に天候が悪化してきました。私たちは登山を続けるか、中止して下山するかの選択に迫られます。このとき「山の天気が急変する」ことや「登山することそのもの」がリスクだとすると、「天気が安定する確信が持てるまで登らない」とか「山登りは危険だからやらない」という結論になりがちです。その結果、山に登って綺麗な風景を楽しむ最高の機会を見送ることになります。

リスクをとるとはどういうことか

それでは「リスクをとった」判断や行動はどのようなものでしょうか。それは「どんな対応をしても目的の達成が困難だったり、場合によっては損失が発生してそれ以上の活動ができなくなるような、そんな限界の範囲内で判断・行動する」ことです。

登山の例で言えば、いつどのように山の天気が急変するかは、我々がコントロールできるものではありません。一方で、「これ以上前に進むのは危険だ」「下山ルートが確保されているうちに下山しよう」というのは、我々自身が判断して下せる決断です。言い換えれば、我々がコントロールできる領域での判断に基づき、動けるうちに行動することが「リスクをとる」ということです。「積極的に危険に飛び込む」のがリスクをとることでないことはいうまでもありません。

バブル経済崩壊後の日本の経済低迷の原因を、日本人が経済的にリスクをとってこなかったからという意見があります。後から考えればそのとおりなのですが、その当時は世界の経済がグローバル化し始めた頃であり、経済や金融は極めて内向きなものでした。学校教育でもリスクについて教えることはほぼありませんでした。その当時に意識を置いて現在を観察すると、ここまで不透明で不確実な世の中になるとは、多くの人が予想できなかったことでしょう。しかしながら、日本社会というOSは未だ旧態然であり、コロナ禍も重なって、極めて元気のない世の中になってしまいました。

そのような世の中だからこそ、リスクとは何かをきちんと意識して、何が起こっても悔いがないような生き方をしたいものです。

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