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そうだ ここらでちょっと一休み、しよう。また新しく歩き直してみることにします。

「『そうだ 京都、行こう。』って知ってる? そんな感じかな」

 学生時代、何年も付き合っていた当時の彼氏に別れを告げられ、理由を尋ねたときの返しがこれだった。
 なにぶんもう10年以上前のことだから、こまかいところまでは覚えていないけれど、当時の私はたぶん「知ってる?」と聞かれ「知ってる」風な返しをして「そんな感じかな」と言われ、「はあ!? つまり何? 思い付きみたいな軽い気持ちで別れようってこと!?」とはらわたが煮えくり返るような思いを抱いていたと記憶している。

「知らない」と正直に言ったところで、彼がその言葉の意味を丁寧に説明してくれたかどうかは今となってはわからないけれど、よく知りもしないのに「聞いたことある」「なんかすごく有名なフレーズだよね?」なんて感じて知ったかぶりをしたのも、その日別れた後に『そうだ 京都、行こう。』で検索でもなんでもして「ほんとのところ、どういう意味なんだろう?」と知る努力をしなかったのも、紛うことなき自分の落ち度だ。

 お互い好きで何年も付き合ってきて、ただの思い付きで別れるわけないのに。たしかにわりとお調子者でヘラヘラした軽い態度もよく取るけれど、その裏で実は結構色々考えたりしてる。そんなひとだって知っていたはずなのに。
 学生としての当たり前すらできなくなった私を一番そばで励ましつづけながら、見栄っ張りな彼がどれだけ我慢をして、どれだけ耐えて、どれだけ悩んで、どれだけたくさん考えたか。
 あの時の私は、とにかく彼に非を探して、振られた自分が悲劇のヒロインであることを正当化したくて、そんな彼の思いを知ろうとする努力さえしていなかったのかもしれない。


 べつに過去の恋愛話をしたいわけではなくて。

 思うようにnoteを更新できなくなって、ああどうしようかと考えていたときに、ふとこの時のことを思い出した。

ああ、なんかもう。一旦ぜんぶ、まっさらにしたい

 出逢えてよかった。
 ここまでやってきて嬉しかったことのほうが多い。
 いつもそばで嬉しい言葉を掛けてくれるみんなが大好き。
 本当に大好き。
 いなくなったら嫌だなって思う。寂しいと思う。
 たくさん触れ合って、たくさん楽しく話をして、
 生活の一部に、人生の一部になるような、大切な場所。
 そうやって、本当はもっと上手くやっていきたい。

 でもそんな自分の理想とは何かちょっと違ってる。
 どこで間違えたのか、
 自分の理想ってこんなんじゃなかったのに。
 後悔なんてないし、心から大好きだけど。
 あれ、今の自分のこと、自分でちゃんと好き?

 もう一度はじめの頃の気持ちを思い出して、
 やり直してみたい。
 そしたら今度はうまくいくかなんて、
 そりゃわからないけど、
 それでもきっと今度は今よりうまくやってみせるから。
 すべて何もかも投げ出すのはもったいないとも思うけど、
 そこをしっかり切り捨てないと、
 きっと引きずってしまうから、
 そしたらまた同じことの繰り返しになってしまうから、
 だから一旦ぜんぶ、終わりにしたいんだ。


 自分のnote活動の話だけど、恋愛話みたい。
 こういう感じだったんじゃないかなって、今は思う。
 人一倍、上昇志向が高かったから。
 人一倍、自分を好きな自分が好きだったから。
 だから「今」に違和感を感じてしまった。


 今頃になって『そうだ 京都、行こう。』を調べてみた。
 1993年からJR東海が実施しているキャンペーンの30秒~1分程度のテレビCM。長塚京三さんがナレーションを務めていた(2019年春~柄本佑さんが二代目ナレーターに就任)。
 京都のうつくしい風景と、長塚さんのナレーションが、その言葉が、じんわりと心に沁みる。

『そうだ 京都、行こう。』の公式HPの現見出し。
 そして2年半ぶりに一部地域で放映されているという『2022年 夏「建仁寺篇」』のテレビCMのナレーション。
 そこにこんなフレーズがある。

口をひらけば、 
暑い しか出てこなくなったとき、 
人に必要な風景ってなんだろう。

『そうだ 京都、行こう。』2022年 夏「建仁寺篇」

 ほかにも心に留まったものをいくつか。

昼間から自分の足音が聞こえる場所があることを、知りました。
「忙しい、忙しい」が口癖のあなたを、ご招待したいものです。

『そうだ 京都、行こう。』1993年 盛秋「三千院・清水寺篇」より抜粋

足利義政は何もかも嫌になって、ここに籠りました。
私はここに来ると、ちょっと元気になります。

『そうだ 京都、行こう。』1994年 冬「銀閣寺篇」より抜粋

ある日突然、戦うのが嫌になりました。花や虫たちと暮らすことにしました。
と言って、この庭を戦国時代の武将石川丈山が作ったそうです。
まあ、いろいろあったんじゃないでしょうか?

『そうだ 京都、行こう。』1997年 初夏「詩仙堂篇」

昔、このお寺のお坊さんは、境内の紅葉は残して、桜の木は全部バッサリと切らせたそうです。
春を捨てて、
その分秋という季節を大切にしたかったのでしょうか?
うん、いさぎいいな。

『そうだ 京都、行こう。』1997年 盛秋「東福寺篇」

その喫茶店は四畳半です。花が一凛だけ。
大声で話すと叱られます。
嫌でも人と人が近づく仕掛けになっていました。
一緒にお茶でも、
という意味が、ちょっとわかったような気がします。

『そうだ 京都、行こう。』1998年 初夏「黄梅院篇」
(※公式動画なかったので文言は聞き取った限り)

日本は、どんどんグローバル化しなくっちゃとか、
なんでもかんでもデジタル化だとか、
二十一世紀は、ほら、そこまで来てるぞとか。
なんだかこの国も大変なことになってきているようですが。
ちなみに、明日は晴れるそうです。

『そうだ 京都、行こう。』1999年 夏「宝泉院篇」

今年の私のお花見は、一本の桜を選び、じぃっと向き合うことでした。
どうしても、こういう時間が私には必要でした。
なぜか、
やぁ、それを話すと、長くなるなあ。

『そうだ 京都、行こう。』2011年 春「東寺篇」


 ここらでちょっと一休み、というメッセージ性が見える。
 忙しい毎日のなかで見えていなかったこと。
 気付きの一つひとつ。目の前のシンプルで豊かなこと
 そんな余裕もない毎日じゃ、文字通り、心を亡くしてしまう。
 それを取り戻さんとする。


 BGMで流れる『My Favorite Things』がまた良い仕事をする。いろんなアレンジがあってどれも良いのだけど、1993年~2012年頃まで一通り聴いて、ただ一つ、強く強く私の琴線に触れたアレンジがあった。
 どうしても書き残しておきたくなる。
 ポロンポロンと鳴るギターかな?ストリングスのピッチカートかな?の音色、そこから主題のメロディに入った瞬間、ストリングスの広がる音楽に鳥肌が立って、泣きそうになってしまった。すごく好き。すごく好き。

1年なんて、あっという間に過ぎて行くって言いますけど、
もう少しゆっくり過ぎて行ってくれると、いいなあ。
というわけで、来ちゃいました。

『そうだ 京都、行こう。』2006年 秋「曼殊院篇」

 公式動画があれば貼りたかったな。公式の出してる盛秋篇だと同じ曼殊院なのにアレンジが違うんだよなあ。
 この回は、流れる音楽が、たまらなく良い。


 そして長塚京三さんがナレーションを務める最後の放映。

京都を、また新しく歩き直してみることにします。

『そうだ 京都、行こう。』2018年 秋「一休寺篇」より抜粋


 恋愛って、文章を書くことって、
 ほんとはもっと楽しくて愛おしいもの、それを思い出したい。

 その選択が正しいか間違いかは置いといて、やりたいと思うようにやってみないと、その先の結果を自分の目で確かめないと、いつまで経っても納得できない。
 だけどそれは、今までを、大好きなあなたを大切にしないってことじゃないんだよ、蔑ろにしたいってことじゃないんだよ。
 それは解ってほしいな——解ってもらえなくても選択は変わらないから、解ってもらえなくても文句は言わないけれど。

 そんな感じだったのかなって、今なら思うよ。




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