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ニュースを題材に、情報処理能力を考える

"ん、なんか抜けている気がする"
時折、データーに基づくニュースをみるていると違和感を覚える。

例えば昨日気になったこのニュース。


家庭の構成人数と女性社長の割合が相関していると結果から、構成人数が多いほど、家事育児の時間が多く、家庭内の事情により社長業を行うのが難しくなっているのではないか?という考察がされていた。

これに対して
家族構成人数は"女性が家庭を守るべき"というカルチャーを占める代替指標であり、構成人数による家事の負担が主因ではないのではないか?
と直感的に感じたのである。

確かに、父母子供の世帯の場合は上記が当てはまるかもしれない。しかし、祖母や祖父と同居している場合、健康状態にもよるが、必ずしも負担が増えるとは言えないと思うのだ。実際に、私はおばあちゃん、おじいちゃん子で両親はフルタイム共働きであった。今でも実家では、おばあちゃんが家事の大半の担ってくれているから、両親が仕事を行うことができていると感じている。

データーは見ていないので予測にはなるが、世帯構成人数の多い地域は、田舎など、日本の古典的な価値観を大切にしている文化が多い地域に偏っているのではないだろうか。女性は家という社会風潮が強いが故に、負担の大きさにかかわらず、働くこと、特に社長や管理職として働くことが難しくなっている。そう思うのである。

また、本文によると佐賀県の女性社長比率は4位かつ構成世帯人数も5位ということ。この事実は、構成世帯人数が増えると、女性社長比率が減るという傾向から逸脱している。このいい意味で外れ値となっている佐賀県の事情を調べることで、真の因果関係を探るヒントがあるのではないだろうか。

人はデーターをみるときに、相関関係に注目し、恰も関連性があるもの=因果関係となるもの、と捉えがちだ。上記考察が正しいかは分からないけれども、相関を示している事象が交絡因子を含んでいる可能性を考える余地は十分にあると思う。

また、本論では最終的に、女性が働きやすい制度を整えることが重要だと締めくくっている。しかしながら、幾ら制度があったとしても、結局は制度を使うカルチャーがない限り、女性の社会進出は難しいのではないだろうか。一方で、カルチャーがあっても制度がなければ成り立ちもしない。結局は、互いに成熟し相補に補う関係になることが今の社会にとって重要なんだと思う。



考察されたデーターを鵜呑みにするのではなく、自分の視点・周囲の情報を合わせて再解析する。時間はかかるかもしれないが、断然理解が深まるし、視野も広がる。正しい情報を探すのではなく、自ら考えることが今求められているのだろう。





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