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どこまでも振り切れ、どこまでも

バランスという言葉はよく聞く。「バランスを取る」と聞けば、その言葉はたいてい重要な意味を持って理解される。バランスが悪ければ、ノイズを感じて魅力を感じてもらえない。服と服を組み合わせ、場所や出会う人によって着用する服を選んでスタイルを決めるために、バランスはとても重要なものだ。色や素材、シルエットの組み合わせのバランスが破綻すれば、「ダサい」となってしまうのがファッションだ。

翻って建築はどうだろう。専門家ではない僕だが、見ていると建築は周囲の環境とのバランスが重要に思えてくる。とりわけ、住宅街に建つ戸建て住宅は、外観のデザインが周囲の住宅とのバランスが慎重に検討されている印象だ。

でも、人が感じる魅力は調和の取れた美しさばかりではない。周囲の環境とは際立つ存在になり、それが圧倒的パワーを生んで魅力となる住宅もある。

前置きが長くなったが、スキーマ建築計画による「奥沢の家」は住宅街の中で圧倒的存在感を放つ。

スキーマ建築計画「House in Okusawa」より

真っ白に塗装された家。近隣に建ち並ぶ家々に比べ、その特異性が写真を見るだけでも迫ってくる。僕は「奥沢の家」の写真を初めて見た瞬間、すぐさま素直にカッコいいと思ってしまった。ファッション的に言えば、エレガンスを感じたからカッコいいと思ったのではない。周囲から突き抜けた存在感に備わったパワー、そのパワーを感じたからこそカッコいいと思ったのだ。

この感覚は「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」のデザインを見た時と似ている。外観の造形だけを見れば美しさを感じるどころか、歪な醜さを感じる。けれど、それがパワフルで他に類を見ない造形であるために、強く心が揺さぶられる。僕は突き抜けた存在だけが持つパワーを「奥沢の家」から感じた(「奥沢の家」の外観に醜さを感じたわけではない)。

「奥沢の家」は新築の戸建てではない。元々は、コンクリート造に見えるが柱の数を減らすために鉄骨で補強した中古の木造建築である。築年数が経過した中古住宅をスキーマ建築計画が大胆さと迫力のリノベーションによって、新たなる家へと変貌させたのが「奥沢の家」だった。

リノベーション以前の「奥沢の家」を見ると、外観の形はほぼ同じながら、家が放つ雰囲気は全く異なることがわかる。

スキーマ建築計画「House in Okusawa」より

リノベーションされた室内も圧倒する雰囲気に包まれている。

スキーマ建築計画「House in Okusawa」より

フロッタージュという絵画の技法を用いて雰囲気が一変した外観の白い外壁が、そのまま室内へと延長されたような白く新しい空間、既存の壁が解体され、剥き出しになった柱と梁が生かされて最小限の設備が整えられただけに見える空間が一つになったことに僕はチグハグさを感じる。しかし、そのチグハグさにパワーがあり、惹きつけられる引力を感じてしまう。

「この家に住みたいか?」と訊かれたら、僕の好みとは離れてしまっているために素直に頷くことはできない。住む人間に資質を問われているようにすら思えてくる家だ。だが、そのパワフルさこそが僕を惹きつけた要因だった。

人の心を揺さぶるのはエレガンスだけではない。パワーも人の心を揺さぶる。パワーはバランスを整えているだけでは、生まれてこない。既存の考え方や習慣から離れようともかまわない。そんな姿勢で到達した場所にパワーは宿る。パワーをデザインする。僕はそこに惹かれる。

どこまでも振り切れ、どこまでも。

〈了〉

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