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始めはただ好きだった

どうも、中村大樹です。昔々、最初にカメラを触った時の感触を覚えていますか?私はもはや曖昧ですが、父の持っていたカメラか、写ルンですを使ったのはもう少し大きくなってからかもしれない、小学生の頃にこどもチャレンジの景品で貰ったカメラだったかもしれない。なんかポイント貯めると貰えるシステムだったんですよ確か。

その頃はもちろんデジカメなんて無くて、フィルムを買わないといけなかったし、その場で撮れてるか心配になるし、現像に写真屋に行かないといけなかったしで、子供には結構ハイコストな趣味ではありましたね。お菓子か漫画かゲームを買う方が必死だった気がする。

その内に誰でも気軽に写真が撮れるようになって、写真や動画を撮るのが日常になっていきました。

始めは多分みんな好きなモノを撮っていましたよね。電車が好きな人は電車を撮るし、景色が好きな人は景色を撮り、家族や恋人を撮る。それを個人のストレージに貯めて思い出したり振り返ったりしていた時代から、いつしかネットやSNSが流行し始めるにつれて個人の枠が拡大していき、自分が好きなモノから、世間様が好きなモノに変わってしまっている。

自己が拡大しているとも言える。その人の中の世界の大きさは自分とそう変わらないのでしょう。

外へ行こう。何かある。

そういえば、世界を平和にする為に出来ることの初手のバリエーションは恐ろしい程少ない。人を知る事とか、人に優しくするとか、人を愛するとか、そんな程度の事。問題の渦中にいる人しか具体的な行動は出来ないと思うし、部外者の行動はロスが大きすぎるし、なによりウザいし。

また次回。

100兆円欲しい