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今まで食べたパンの数を誰も覚えてない

どうも、中村大樹です。今、無意識に、あらゆる音楽を聴く事をためらう自分がいます。Youtubeで流れてくる新曲のMVも、モヤモヤとした何かがまとわりついて再生出来ずにいる。

このモヤモヤは、牛や豚の屠殺場を初めて生で見てしまった感覚なのだろう。もしくは、仙水忍が「黒の章」を見た時の心境なのかもしれない。仙水は人間に絶望してしまったれど、私達も毎日のように絶望したり、逆に希望を抱いたりして生きている。

そこにあるのは以前から知っていたし、何が行われているかも薄々は知っていて、ただ確信はなく、確かめる術もなく、その現実を見ないでいられた。見えなければ、見ようとしなければ、無いのと一緒だ。スーパーの店頭で加工されたお肉をおいしく頂ける。罪悪感は果汁0.1%よりも薄れ、罪や罰の意識もなく、何もなかったかのように感動して、消費する。今まで食べたパンの数を誰も覚えてはいないのだろう。

さて、問題はこのクソみたいな感覚を、これ以上誰か、特に次の世代の子供たちに味あわせたいのか?という事だと思う。

「あなたならどうする?」

「君ならどうする?」

と、ここまで書いてからコロナでぶっ倒れて下書きのまま眠っていたわけですが。その間にも事実関係の確認は進んで、ここから入れる保険があるんですか!?状態になっている訳ですが。

冒頭の後遺症は和らいではいる。

いずれにせよ、ここから突然正義のヒーローが現れて「アルティメットココナッツクラッシャー!!!!」みたいな必殺技で悪を倒してめでたしめでたしみたいな未来は無いわけで。

これから先の大人が地味に背負っていくしかない問題なのでしょう。

実際に隠ぺいしたり、加担したわけではもちろんないけれど、小さな個人の小さな「気にしても仕方ない」の長年の積み重ねが、こうした世界の一端を担っているのは間違いない。

私の生きてる間にスッキリ解決する可能性は少ないでしょうけど、その未来を見る以外に選択肢は無い。

要するに「責める」は過去を見ていて、「許す」は未来を見ているからではないだろうか?

という様な事をSNSでは言わないけれど。長くなるし、炎上するし、面倒な事しかないし。noteなら最悪有料にすればいけるだろ。

そういえば、2023年後半戦の目標は「積読の消化」です。今年の漢字は「積読」。

また次回。

100兆円欲しい