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「察せられない」ウガンダ人

X (旧Twitter)でも少し反響があったので、
今回はこの内容について書いてみようと思う。

題名通り、ウガンダ人は
「察する」「空気を読む」ことができない。
いや、できないというと語弊がある。
「日本人とは空気を読む感覚が違う」
と言った方が適切だろうか。

例えばだが、
Case1
集中して何かしら作業をしており今は絶対話しかけてほしくない、という時に限って話しかけてくる。しかも私が少しそっけなく返事をしようものなら
「なんだよ、元気ないじゃないか。どうしたんだ、大丈夫か?ええ?」
なんて余計に鬱陶しく絡んでくる。

Case2
私がオンラインミーティング中、
会議音が鳴るように設定してあるにも関わらず、
近くに寄ってきた人が話しかけてくる。/
その空間にいる人があまりに周りがガヤガヤとうるさい。
会議の音に負けじとむしろ声を張り上げてくる。
「今ミーティング中だからやめて」
とこっちから言わないと、気づかない。

Case3
ただでさえ時間が押して長引いている会議なのに、
「もう今日は遅くなっちゃったから手短に」、
「質疑応答は個人間で」などといったことは
決してない。
どれだけ時間が押そうが演者は喋るネタがなくなるまでしゃべり、聴衆も気の済むまで質問をする。結果スケジュールがどんどんどんどん押していく。
2時間、3時間遅れは当たり前。
気が遠くなる。

Case4
食堂の列にちゃんと並んでいる人たちがいるのに、
何かしら言い訳をつけて列に横入りし、元から並んでいた人が怪訝な顔をするのも知らん顔をする。
後ろの人たちと残りのご飯の量を考えて遠慮をするということをしない。
後ろの人のことを考えずに大量に肉や米を取っていき、なのに大量に残す。
そして何故か不満不満不満。
後ろの人たちは食べるものはなくなる(種類が少なくなる)。

このように例を並べていくと、1つ思うのは
「ウガンダはものすごく自分のことを大切にする」ということだ。
他人を全く気にかけない、
本当に全く空気を読まない…というわけではないのだが、
自分の中での比重は圧倒的に
自分>>>>>>>他人
なのである。

自分がこれをしたい、自分がこれを大事にしたい、
気になる、言いたい。
その結果、
「他人の空気を読まない」
「他人を気にしない」構図が出来上がる。
自分の仕事、プライベートを大事にして、他人のために無理をする我慢をするということはしない。

自分のことを蔑ろにしてまで他人の目や評価、感情を非常に意識する日本人とは観点が違うのである。
相手の動きやイントネーション、表情から相手の感情や考えていることを推察し、相手の嫌がることはしないように気をつけ、時に先回りして相手が欲しいものを与えようとする。
「おもてなし」の精神。
その日本人の感覚はウガンダ人にはないのだろう。
「言わずにわかる」どころか「言っても分からない・通じない」ことも多い。

それぞれの良いところもあれば嫌だなと思うところもある。
日本人の察する文化は「気疲れする」。
言ってないことまで微妙なことから推察するのは
「できる人間」ではあるかもしれないがストレスも多い。
「言わなくても分かれ」「背中から学べ」
事実私も日本にいるときはその文化に
なんなんだよもう、としょっちゅうイライラしていたし辟易していた。

しかしこうしてウガンダで生活していると、
やはりその「察する文化」に自分自身救われていた部分もかなりあったのだなということに気づく
察する側は負担やストレスがかかるとも、察せられる側は確かによほど楽なのだ。
日本人は察してもらえることに甘えすぎている気がするし、傲慢になっている気がする。
それは本当に日本独特で、当たり前ではない。

ウガンダ人は自分や自分の家族の優先順位が高いので、幸福度がものすごく高い。いつでもハッピー。
自分が本当に大切にしなければならない物、人を知っている。
しかしその反面やはり、ウガンダ人はウガンダ人で自分に甘すぎる気がする。
言い訳だけはうまく、あれやこれやと理由をつけては自分の都合の良いように動く。
咎めても本気で反省などせず、ジョークで返される。
自分が良ければ他人はどうなってもいい、、わけではないはずなのだが。

中間はないものだろうか。笑

この2つの国での生活を体験した身としては、
両者のいいとこ取りをして行けたら良いなと思う。
日本人の性質を大切にし押していくべきところと、
ウガンダ人の性質を尊重し出した方が良いところ。

これはきっとこれからの自分の生きやすさに繋がってくれるのではないだろうか。

住んでいる世界が狭いと。
特に日本は海で孤立した島国だし、
ウガンダもお金の関係で一生涯国外に出ない人も少なくはない。

当たり前が当たり前でないことになかなか気づけない。
世の中にはさまざまな人がいてさまざまな考え方感じ方があってそれぞれ学ぶと良いところがあること。

頭ではわかっているつもりでも、なかなかやはり身に染みて納得することはできない。
そういうレアな経験ができたのは本当に良かったと思う。

日本に帰った後
日本独特の生きづらさに直面したときに、
ここで学んだアフリカマインドを活かせたら良いなぁと思います。
はっきり嫌なものは嫌だと言ったり、
時には自分のプライベートをちゃんと充実させたり。

そしたらこの現代社会で私は少し強くなれるかもしれないなぁ。
大変なことも多い世の中だけど、帰国した時
ウガンダに来るまでの私より
強く生きやすくいられたらいいな。
協力隊だからこそできる経験が
感じたこと学んだことが
私の人生の中でどういう意味を持っていくのか
未知数だけど少し楽しみでもあります。





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