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子どもが苦手な私の隊員生活

私は子どもが苦手である。
嫌いではない。かわいいとは思う。
でも、遠くから眺めているからこそかわいいと思える、くらいの無責任な愛し方しかできない。

例えば子供同士が喧嘩しているのをみたら、いじめの現場を見たら、
ものすごくハラハラするし絶望感を感じてしまう。
子供が泣き喚いていたら
なんで泣くのかわからずイライラしてしまったり、自分自身泣きたくなってしまう。
純粋な愛を持って懐き慕ってくれる子供がいたら、
嬉しい反面自分はどうしたら良いかとわからなくなってしまう。
口が悪い態度が悪い子供は、手を出したり説教したくなってしまう。
子供と同じ目線に立って一緒に遊んだり、はしゃいだりと言うことも苦手だ。
いっそ高校生くらいになって深い対話ができるくらいになれば良いのだが、赤ん坊や幼稚園、小学校低学年くらいの子供たちは本当にどう接したら良いのかわからない。


自分が密に子どもと接していたらノイローゼになりそうである。
子どもというものは自分で自分の感情がコントロールできないし、コロコロと気分が変わるし予想ができないことばかりだ。
急に泣き出す、怒り出す、と思えば急に笑い出す。
急に走り出すこともどこかへふらっと消えてしまうこともある。
自分が世界の中心であり、
後先や他人のことを考えない。
私と全然違う存在。
だから理解できない。私の心が追いつかない。
私自身がおそらく普段あまり自分の感情を表に出さない人間なので
素の心を惜しげもなく曝け出す子どもに一層困惑してしまうのだと思う。

もちろん自分も昔はそうだったはずなのだけど、
そうしていろんな人に迷惑をかけたはずなのだけど、
やっぱり大人になった今、子どもというものは自分と遠い存在に感じてしまう。
短時間頑張って接することはできるが、
それでも疲れてしまう。
長時間、ましてや毎日なんて接していたら、自分の心が振り回されすり減ってしまうだろう。
それゆえに苦手である。

私には3歳違いの弟がいて、
小さい時はものすごく弟にべったりで
よくお世話をしていたと聞くのだが
もはやどうしていたなんて覚えていないし、
思い返してみてもやはり
小学生高学年くらいからすでに
低学年や幼稚園、保育園程度の子達との接し方は苦手だったように思う。

「子供が好きだ、自分の子供が欲しい」
と公言していたり。休み時間に常に低学年の子供たちに囲まれていたり。
そういう子たちは、確かに比較的早く結婚して、子供が産まれていることが多いように思う。
子どもとはいえその時からすでに母性というか母親としての素質は芽生え持っているものなのかもしれない。
ということは私はすでに小学生の時点でその素質がなかったかもしれない。
(もちろん後天的に身につくものも大きいとは分かっている)。

とはいえ、子供が嫌いなわけではないし
子どもという存在は宝だと思うし、
もちろん傷つけたいなどとは微塵も思わない。
友達、同級生などで子供がいたらその子供が本当に可愛くて尊いと思うし
1人でも多くの子供が楽しく幸せに生きれる世の中であって欲しいと思う。


だが、自分の子どもを欲しいと思ったことはこのかた無い。
Yukiちゃんは将来絶対いいお母さんになるね〜!
なんて言ってもらったことも何回かあるけれど
自分としては育てられる自信が毛頭ない。
幸せにしてあげられる自信がない。
世の中のお父さんお母さんは本当にすごいと尊敬の念が絶えない。
(自分の両親や祖父母なども含め)

多様化が謳われている現在、
必ずしも結婚して子供を持つことが幸せともいえなくなってきている。
将来の伴侶と同じ価値観のもとで合意できるのであれば、
子供を持たないという選択肢も全然ありで、
実際そういう選択肢を取る人も増えてきており、
日本の少子化も近年ますます進んでいる。

子供は高級品、一部の人しか持てないもの。
核家族化、かつ子供を持たない世帯も多くなっていることでか、子連れに対する世間の目は厳しく、
自分の子供は自分で育てるもの(他の人に迷惑をかけてはいけない)、
「子連れ様」なんて嫌な言葉なども使われてしまっているようだ。
嫌な雰囲気だな、と思う。


そんな最中ウガンダへきたわけだが、
まぁ、驚くのは
日本との雰囲気の違うこと違うこと。
子供は宝であり、
プリンスであり、プリンセスである。
自分の子供はもちろん、
他の人の子供も同等である。
子供が嫌いな人や嫌な目を向ける人はほとんどおらず、どんなに性格に難がある人や変わっているなぁと思ってしまう人でも
子供を愛し、向ける眼差しがとにかく温かく優しいのである。

知り合いのほとんどが子連れで、
職場にもよく子供を連れてくる。
配属先の特徴上、幼稚園から大学生まで
多くの子供たちが訪れてくる。
子どもと接さざるを得ない状況が誰にでもどこにでもある。
観察していると、小学生くらいの子供から年寄りまで、当たり前に全員が子どもを愛し、受け入れ、子どもとの接し方を心得ている。
ウガンダの子供たちは日本の子供たちと比べて
より手がかかり、落ち着きがなく、好き勝手するのだが…みんなその嗜め方が上手いのである。

特に小学生の子達なんかは、
自分だって対して年の差がないくせに、立派に母親父親の表情をしていたりする。
自分自身に兄弟が多いこと、ウガンダでは子供が多いのが当たり前なこと、
キリスト教の教え(子供は神からの授かり物で宝)ということもあるかもしれない。
もちろんウガンダにだって虐待や兄弟差別、男女差別といった問題はある。
が、一般的には日本より温かく愛に溢れている印象を受ける。

また、協力隊という特性や要請内容も関連しているかもしれないが、なんとなく、日本の隊員でも
子供たちや、子供たちと関わることが好きな方が多い気がする。

こういう環境の中で長期生活をしていると、
だいぶ自分の考え方も変わってくる。
他のウガンダ人や隊員さんの子どもと接する様子を見てたり真似してみたりして、こうしたら良いのかと気づきがあったり、
言葉が通じなくても微笑んだり近づいて手を握ってくれる子どもたちと接して温かみに触れたり。
恐る恐る子供たちと接して、お互い受け入れ合って
少なくとも前みたいに壁を感じたり、
接し方がわからなくて困惑したり、拒否感を感じることは減ったと思う。
相変わらず接した日のエネルギーの消費はすごいけれど。笑


そして、そうか、と気づく。
私は「子供」が嫌い苦手というよりは、
子どもとの「接し方」がわからなかっただけで、
子どもを取り巻く「環境」も含めて
子どもと「関わること」が苦手だっただけなのだ。
子どもに罪は何もなく、

日本での
そもそも普段から接する子供の少なさ、
周りの大人の雰囲気、子どもに対する世間の目、
子育てに対する価値観、ことなかれ主義、
それが故の子育ての難しさ、
そういうの全てひっくるめて日本で子ども、子育てに対しての負のイメージができていただけだったのではないかと思う。


子供のことを、もちろん100%可愛くて仕方がない、将来やっぱり子供が欲しいみたいな感覚にまではなってないのだが、
子どもや子連れ家族に対してかなり寛容に受け入れられるようになった気がする。
「周りの当たり前」「周囲の雰囲気」は非常に大きく作用する要素なのではないかと思う。

子供を持つ持たないの選択は自由だ。
たまに意思に関係なく子どもに恵まれない人も、反対に子供ができてしまったという人もいる。

けど本来子どもという存在はかけがえのなく、
尊いものだ。
子供の数が希望の数ともいうように、
子供たちがキラキラとした笑顔で笑っているだけで、その場が明るくなり私も幸せな気持ちになる。


帰国したら、
相変わらず日本は子どもや子連れに対して
当たりがきつく雰囲気が良いわけではないと思うけれど、
自分自身相変わらず子供がめちゃくちゃ好きというわけではないけれど、
もう少し温かい気持ちで接することができたら良いかな。


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