津山で妖気にあてられて
「津山ってのはな、気味が悪(わり)ぃんだ」
祖父が声を潜める。
「あそこに長いこといたら気が狂っちまう」
旅先の話を何度も繰り返す祖父だが、
津山に関しては、これっきり口にしたことがない。
それで、どうしても津山が気になって、行くことにした。
***
7月上旬。
岡山駅で新幹線を降り、津山線に乗り換えた。
車両が古い。天井に扇風機がついているので、冷房がないのだと早合点し、これは真夏になったらかなわんぞと恐ろしくなった。
しかし、岡山駅を出ると、扇風機ではなく冷房が動き出して涼しくなったので、杞憂に終わった。
電車が走り出して10分、気づいたら、緑に囲まれている。山だ。
のぞみが止まるような都会のすぐ近くまで、山が迫っているのかと驚く。
山を分け入るように進むにつれ、スマホの接続が悪くなり、LINEの返信が滞る。添付の画像がなかなか開けない。
隣を見ると、地元の高校に通っているであろう女子高生が、LINEをサクサク返信している。
画像はなく、文字だけのやりとりだ。
賢明な判断である。
すると、電車はトンネルに入り、文字すら受信できなくなった。
同時に、女子高生はスマホをスクールバッグにしまい、鏡とビューラーを取り出して、睫毛を上げ始めた。
放課後だし、どこかに出かけるのだろうか。
揺れる電車の中で、アイラインまで上手に引いてのけた。
手練れである。
トンネルを抜けた先の停車駅で、彼女は降りた。
スマホは、再び電波が立つようになった。
乗車からおよそ1時間半、津山駅に着いた。
下車した瞬間、体が「こりゃだめだ」と悲鳴をあげる。
湿度が高すぎるのだ。
直前まで雨が降っていたのか、地面は濡れている。見回すと、霧がかった山に囲まれていることがわかる。上を見上げてみれば、重たい雲が空を覆っている。
空気中の水分という水分とともに閉じ込められているようで、息が苦しい。
どこかで昼飯にありつこうと、城東町並み保存地区に向かう。
途中、下校中の中学生や高校生数名とすれ違う。車もよく通る。チャリで飛ばす老人も多い。
津山は活気のある町か。
ところが、町並み保存地区に足を踏み入れると、人の気配が途絶えてしまった。
家々は修繕され、道路も舗装されているが、誰も表に出ていない。
人間の手が加えられている形跡がはっきりとある通りで、人間とひとりもすれ違わないのは、狐に化かされている気分だ。
歩き続けていると、一軒の家に突き当たった。
なんと、黒焦げである。
よく見ると、立ち入れないよう三角コーンで囲まれている。
後で調べてみると、4月に火事があったそうだ。
誰とも会わず不安ななかで、火事現場が目の前に現れたことに度肝を抜かれてしまい、慌てて踵を返した。
途中、スーパーで野菜ジュースを買って、腹を満たした。
気を取り直して、つやま自然のふしぎ館に向かった。
動物の剝製が並ぶ様が圧巻だと、一時期Twitterで話題になった博物館だ。
こちらは、期待を超えて素晴らしかった。膨大な数の剥製を、ガラス越しに至近距離で見ることができる。
とくに、大型の鳥類のそれには感動した。ハゲワシは、嘘のように大きい。
剥製を写真に収めながら、展示室をひとつひとつ巡る。
来館者はほかになく、どの展示も独り占めだ。興奮状態でカメラのシャッターを切る。
すっかりハイになって、「極地の動物」の展示室に足を踏み入れた瞬間、
恐怖で息が止まった。
そこには、でっっっっっっっっっっっっかいミナミゾウアザラシの剥製が、直立していた。
でっっっっっっっっっっっっかすぎる。でかすぎて、こわすぎる。体長4メートルってなんだよ。化け物じゃねえか。道で出くわしたら向こうに何かされる前にこちらが死んでしまうだろ。思い出した、あれだ、ピング―24話のトドだ。じゃあ知ってる。知ってる化け物。知ってる化け物だからなんだ、こわすぎるだろこんな巨体。見ただけで押し潰される、物理的に押し潰されなくても圧死する。でかすぎる。よく見ると隣のホッキョクグマの方が背丈は高いけど、ミナミゾウアザラシの方がこわい。なんでこわい?顔、顔がでかい。顔がめちゃくちゃでかい。あとこわい。顔がこわい。現実に存在する顔じゃない。化け物。化け物化け物。これ化け物。
ミナミゾウアザラシの妖気にあてられて精根が尽きてしまい、その後、どこにも寄らずに帰宅した。
***
「津山ってのはな、気味が悪(わり)ぃんだ」
改めて、祖父の言葉を思い出す。
「あそこに長いこといたら気が狂っちまう」
祖父の言っていたことは、どうやら正しかったらしい。
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