とてもひとことでは説明できないような奥深さのようなもの
note(ノート)の方では比較的気楽に書きたいと思っています。
119話ではファルコが巨人化し、兄のコルトが死亡し、ポルコが巨人に食われ、(人間状態の)主人公の頭部が対巨人ライフルによって吹き飛ぶというカオス状態になった。
奇襲を食らったマーレとその奇襲をしかけたパラディ島勢力の戦いだから、激しい戦いになりそうだとは思っていた。
でも、さすがにあのカオスには面食らった。
119話公開まえから読者のあいだではファルコやガビの今後を予想する意見が多かった気がする。
自分もそのあたりは予想を立てていた。
だから119話で起きた出来事のなかでとくに注目したのは、ファルコの巨人化と彼が能力者(ポルコ)を捕食したことだった。
ファルコを巨人化させてしまっていいのか?次の世代の子供に巨人の力を残してしまっていいのか?
こういった疑問というか驚きのようなものが、読んでいて自然と湧いてきていた気がする。
ファルコは登場人物のなかでは長生きしそうな方だと思う。
なので、もしファルコが巨人の能力を継承することがあれば――もうほとんど継承は確定しているとは思うが――エレンが没したあとも巨人の存在が残る可能性は高い。
しかし、主人公の願いは世界から巨人を駆逐することだった。
エレンは「壁の中も外も同じなんだ」とファルコに言い聞かせてなおかつ「オレは進み続ける」と言いました
これが言葉の通り「悪くない人も犠牲なるけど皆殺しにする」
なのか、または別の方法でパラディを守るということなのか、、、
ある読者さんのコメントだ。
壁の外にはただ人間がいるだけで、実は壁の中も外も同じだったという世界の真実をファルコに伝えた。
ファルコのことを優しい人間だとも言った。
それでもエレンがレベリオ襲撃に踏み切ったのには、たしかに彼の覚悟が感じられる。
「オレは進み続ける」というのはどういう意味だろう?
これは感想だが、なんだかこの言葉にはとてもひとことでは説明できないような奥深さのようなものがあるように感じる。
「進み続ける」にエレンが保有する巨人の名前である「進撃の巨人」と同じ「進」という文字が入っているのだけれど、これは偶然ではないと思う。
主観だが、この言葉を口にしたときのエレンには原点に戻った感覚を覚える。
「お互いが平和にうまくやっていくためにどうするべきか、いろいろ考えてみた。それでもやっぱり進み続けることにした。」という雰囲気が感じられないでもなかった(もちろん主観だ)。
コメントにあった「覚悟」もそのとおりだと思うし、この原点回帰みたいな感覚もエレンにはあったのではないかと僕は思っている。
自分はずっと地鳴らしは起きない展開を考えていましたがここ数話でやはり地鳴らしはあるのかなと思っています
レベリオでの虐殺もエレンの覚悟の表れだと考えれば、、、
最初のコメントの続きだ。
コメントをくれた方と同じで僕もなんとなく地鳴らしは起きないだろうなと思っていた。
今も思っているが、だんだんその想像上の展開の存在感が弱まってきた気がする。
あるいは本当に地鳴らしは起きるのかもしれない。
こうやって想ったことを書きのこしておきます。
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