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Galileo Galilei,歯抜けのサムは,もっと幸せになっちゃう

好きなバンドを「青春の全て」と美化するのは案外簡単だったりするけれど、わたしにとってGalileo Galileiはその言葉よりももっと持続的で、親密で、切実な存在だったように思っている。フロントマンである尾崎雄貴は、烏滸がましいとおもうけれど、いつも考えていること、悩んでいることに光をあててくれる、大好きな少し上のお兄さんという感じだった。

高校時代、PORTALを年中聴いた。多分今もなお、人生で一番きいたアルバムはPORTALだと思う。PORTALは理想郷のアルバムだと思った。2年間のわんわんスタジオの共同生活で生まれた、「わたしたちのためのどこか」についてのアルバム。16歳のわたしはそういう「美しさ」を求めつづけることこそが生きる理由だと信じていた節があって、「砂場の如雨露に苔がむす 揺れていたブランコは一つに結ばれ 「ここにいる」なんて言葉は嘘になるんだろうな」(スワン)なんて苦しいくらい美しいサビや、「歯抜けのサムは僕らが殺した」(Freud)なんて軽快な生死観をまとった空間に憧れ続けた。結果的にPORTALのアルバムをイメージした連作物語を書いて、大学の時文芸誌に掲載した。ほんと、頭の中のぜんぶという感じだった。

大学に入り、Youtubeに「GG 2015 Diary」が載って、昔バンドを組んでいた幼馴染と熱狂する。今でも最後のナレーションを、わたしはそらで言うことができる。
「今やっていることが、いつか自分達の人生を表せる大きな一枚絵になってくれるように、僕たちは音楽を探求することを、自分達のライフワークとして続けていきたい。それは苦しいこともあるけど、この世で最もクールなことだと信じている」
生きる価値基準が「クール」になったわたしは、幼馴染とGalileo Galileiの武道館ライブに行ったその足でモスバーガーに駆け込み、ユニットを組んで活動することを決めた。

Galileo Galileiが解散前最後に出したSea and Darkness。「理想郷」なんてものはなく、全ての光には影が伴っていること、その上で影に宿る力のことが歌われていると感じた。自分が無自覚に生んできた影に耐えきれなくなり、大学に行けなくなっていた時、暗闇に落ちて行くばかりのわたしを、それでこそ救うことのできる人だっているのだと、気づかせてくれたように思う。「それでもいい」と繰り返す最後の曲を、最初に聴いたときに、ああ、大丈夫なんだ、と沈み込むような安心と共に思った。「闇夜の中では全てが黒色 僕の影 そして君の影は一つになる (略) 何も見えない 僕のそばにいる限り みえる Darkness」(Sea and Darkness Ⅱ)暗闇だってひとつの救いなのだ。なんだかいまから思うとダークヒーローみたいだけれど、不安定な19歳には切実な言葉だった。

時が経って、尾崎雄貴がソロ・プロジェクト「warbear」を始動させる。アルバムを通しで聴いたのは大学へ向かう総武線の中で、涙がどうしても止まらなくって途中の駅で降りた。ライブは告知と同時に予約して、必ず行った。あるライブの最後に歌ったウォールフラワーで、元の曲にはない「壁際でそっと座り込み 溶けたバターのように 時間が過ぎ去るのを待っている 花びらを数えて」という歌詞が出てきた。元より随分と高いキーで、張り上げるように歌われて、わたしはわたしの輪郭をなぞられたような特別な感覚を覚え、隣にいた幼馴染と帰り道、何度もそこを歌った。少し誇張したモノマネをして、笑いながらだったけど、帰りの電車で思い返して、しみじみと泣いた。

社会の波に入っていく準備の期間、わたしがアルバイトをしながら学業をこなしていたとき、尾崎雄貴はバンドBBHFを発足させて、アルバムMoon Bootsを発表する。この時もひとつだけ先を教えてくれるお兄さんのような感じで、単調な日々の意味を、そこへの考え方を指し示してくれていた。「トンネルの向こう 光が見える かき消して僕ら同じ高さ」(Work ※和訳はMVによる)。

高校生からの、逃避願望や自分らしさの探求や、憂鬱や、茫漠とした不安にいつも寄り添ってくれた尾崎雄貴が先日だしたwarbearのアルバムPatch。日々を幸せに生きることを歌っているように感じた。25歳になったわたしは、ちょうど日々が楽しくなってきていた。それを許してしまっていいのかと、どこかで昔の自分に問い続けられながら。「僕らが生きるほどに 膨らみ続けて 身体が宙に浮かんで ほら」(花びらの形)と尾崎雄貴が歌う。「歯抜けのサムは僕らが殺した」なんて、10年前言っていたのに。どちらも優しさに彩られていて、その変化を、ずっと後ろを生きてきたわたしは、わたしに向けて思うように、新鮮に、どこか「そうだよね、ほんと」と共感し続けている。

今年のキングオブコントで、優勝したコンビのうち1人が「充分楽しい人生なのに、もっと楽しくなっちゃう」と言っていて、なんだかその言葉が胸の奥の方に刺さって、うるっときた。同じところが次に痛んだのは、さっき会社でGalileo Galileiが復活すると目にしたときだ。痛くって苦しくってPC開いたまんま駆け出して、今タリーズでこの文章を書き連ねている。

今日までのことをこうして振り返ってみて一つ腑に落ちたことがあって、それはつまるところ、わたしはGalileo Galileiないし尾崎雄貴との10年間の中で「幸せ」に向っていっていたのだということだ。理想郷を求めたり、暗闇にのまれそうになったり、生活の単調さを憂いたり、そうした旅は全て「幸せ」に向っていたのだと、振り返ってみると思える。BBHFの最新「南下する青年」で最終的に青年が温かい場所にたどり着き、「僕らは太陽だってさ」(太陽)と歌うように。

会社最寄りの喫茶店に着くまでの間、昨夜の配信にあった、PORTALの一曲目「Imaginary Friends」を聴く。気を抜くと嗚咽しそうになるくらい込み上げてくるものがあって、胸の奥が痛くなって、わたしはふと、先日テレビでみた一節に似たことを思う。早足になりながら、目頭が熱くなるのをそのままにしながら。
「充分幸せな人生なのに、もっと幸せになっちゃう」

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