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2月の日記-喪失の予感についてとか

2.22
蟹の親子さんの「脳のお休み」を読んだ。何か感想を言うのが少し怖い本だった。親が死にかけたことと、自分がこの家に生まれてきたことについて考えていた実家の二段ベッドの天井を思い出した。外が急に明るくなって、ハリーポッターと秘密の部屋のロンウィーズリーみたいに空飛ぶ車に乗って誰かが来たのかと思ったら、近所の子供が虫とりかなんかで持っていた懐中電灯をいたずらで僕のへやにむけていただけだった。なぜ憂鬱を晴らすような非日常が自分にやってきてくれると思ったのか、都合のいい考え方が情けなかった。


2.23
友人の演奏会を聴きに日帰りで兵庫に行った。絶対的な存在、というのがどこにだっているけれど、友人はずっと「そうはなれない自分」という認識の中で、泥臭く考え続けてきたのだと思う。どうしたらそういう人じゃない自分が、他ならぬ自分としていられるのかを。その、戦いというと大袈裟だけれど、生き様がちゃんと体現されているような演奏会だった。お客さんが興味深そうに友人の話を聴いている時、休憩時間にぽつぽつと聞こえる話し声、アンコールの曲選び。友人はいつか「わかる人にだけわかればいいというのは傲慢だと思う」と言っていた。その信念が具体化されたような、美しい演奏会だった。

2.24
友達のギャラリーでやるマーケットに出店させてもらう。久々に会う人たち。本を真剣に読んでくれて嬉しかった。絵を続けている人がいることがすごくよかった。綺麗で写真を何枚もとった。カセットとCDが再生できる機械が僕も欲しいなと思った。両親がわたしに送る誕生日プレゼントに困っているから、それにしようかと思う。

2.25
雪の日。仕事。ずっとばたばた。友達がダウ90000の公演を当てて行けることになった嬉しい。家に読んでいないユリイカが溜まっていく。ずっと終わらないテトリスをやっている感じだ。年明けから。

2.26
じぶんの薬としての言葉が書きたいと強く思う。仕事が終わってから毎日人に送る言葉を書くことを毎日やっていると、たとえその送る相手がかけがえのない友人だったとしても、精神の奥の方がねっとりと溶けていくような感じがする。仕事がなかったら違うと思う。いや、違わないか。
読み手にわかられないような、心の奥の好き勝手なことを書きたい。たとえば自分がずっと抱えている喪失の予感についてとか。

2.27
米澤柊さんの展示にいった。ずっと前から存在は知っていたけれど、長いインタビューを読み、個展に出していたアニメーションを見て、ああ、これは絶対にみないといけない、と思った。つい昨日の日記に書いた「喪失の予感」にタッチするような作品ばかりだった。いってよかった。短歌を書いたら喜んでくれてそれが嬉しかった。なんだか今まで書いたものよりもずっと切実な短歌が書けたと思う。自分の奥にあった現象や言葉を、作品に引っ張り出されたのだと思う。

2.28
仕事で今行っていることを書き出したら8個あった。仲良し上司の横で「めちゃくちゃ仕事したな」とつぶやくと、「あんだけ苦手だったマルチタスクができてるじゃん…」と褒められたので「できねーなりにめちゃくちゃ考えてるんだよ!」と歯向かった結果「それはできてるってことだよ」と優しくなだめられる。
多分これが続くとちょっとやばいな、と思っている。毎日家に帰ってから掌編を書いているのもなんか良くないかも。どっかで換気みたいなのが必要。睡眠とかじゃなくって、こう、精神のやつ。

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