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誰にも見つけられないように/2月の日記

0201
ミニシアター系の映画をみた後その監督と話す機会があって、変に自慢めいたことを言ってしまってひどく落ち込む。会社のこともう外で話すのやめよう、と噛み締めながら風呂中の貧乏ゆすり。

0202
久しぶりに会社に出た。リハビリみたいな感じ。家に帰ってきてこの間買ったポケモンのゲームをする。せかされるように、する。

0203
撮影のお手伝いにいく。夜かなり遅くなってタクシーで帰る。タクシー好き、いやどうだろう。思ったより長いなってときはその分きらいになる、なんでもそうか。

0204
しごとに行く時間を少し遅らせて、好きな本屋をゆっくりと回る。「たぶんなんにも買わないなあ」と思いながら歩く。漫画の新刊がでているけれど、なんだかそんな気分でもなく。

0205
終電まで大学の同期と飲む。飲むために集まるなんていつぶりだろう。しゃべりすぎたな、と後悔する。それを含めてひさしい。

0206
思い立って呪術廻戦の映画を観たらすこぶるよくて、上機嫌でいた。立川立飛のTOHOシネマ、駅前のららぽーと、カップル初級編みたいな二人組、スタバにはいってぼんやり作業。

0207
呪術廻戦、漫画を買い始める。ジャンプの漫画を買ったのがすごく久しぶり、なんだか心地が良い。多分冷めた死生観かな、「どうせ」という言葉を、努力した末の諦めとかではなく、すごくフラットに使っている。わたしたち、結構そういうジェネレーション。

0208
在宅勤務はむずかしいよ、ていうかちょっとわたしにはむりかもしれない。そんななんていうんだろう、まともな向上心みたいなものが、いまあまりにも乏しくて。

0209
ゲームを高校生ぶりに買ってやってみていて、そのおかげで生活がガタガタ。「はやく冷める」ためにめちゃくちゃやっている。でも結構そんな風かもしれない、いつも何にでも。

0210
呪術廻戦を最新刊まで買う。なんかやっぱり時代性なのかな、過剰に感情をあおらないでくれて嬉しい。スッと事件が起きて、スッと変わる。そこに緊張があると辛くなってしまって、だから多くの映画がまだ苦手なのかも。

0211
カラオケで曲作りの打ち合わせ。北千住駅前のフライングタイガーで友達が水色のウクレレを買ってニコニコしている。「手で持って帰る」って。それはかわいい。

0212
なんだか好きな人と話したりして、ほんと「好き」という気持ちだけで空気おいしいわ。夜はカラオケで打ち合わせをしてから、大層街を歩く。北綾瀬で0番線に乗る。知ってた?0番線。格好がちょいと良すぎる。

0213
休日だけどしごとに出て、長い間考えごとをする。なんで何かを作るのだっけ、とぼうっとしていたら、あっ、という間に街明かり。

0214
久しぶりのひととひょんなことで長ラインになって「ほら、明日しごとでしょ、早く寝なよ」とか言いあう。付け足しの一言が数珠繋ぎの発火材になって、ぎゃっはっはと笑って2時前。次の日の朝に味わいながらスクロールする。

0215
トーベヤンソンの短編集を読む。読みなれてくると3口目のうどんみたい。すごい流れで文字をすする。

0216
あ、まってこの筋の向上心はいらないんだった、つかれちゃう。

0217
チェンソーマンを一気に読む。呪術廻戦と対になって話されることが多いから、何事、と思って、読む。なんだかどっちにも魅力的な女性が多い。

0218
夕食後、台所で皿を洗いながら「しゃ、し、ん〜〜には〜映らない〜」とブルーハーツを歌っていて、そこでふと止まったら隣で食器をしまう母親がつづきをハミングした。わたしたちはずいぶんとほんと、ふたりして丸くなった。

0219
冊子を出版するために製本屋さんに行って話をきく。触っただけで紙の名前を教えてくれる製本屋さん、2時間くらいその場所にいて、あまりの新世界にくらくらしたから抹茶パフェを食べた。

0220
Laura day romanceとラッキーオールドサンのライブをみる。Lauraがおわったあと一番後ろで壁に寄りかかっていたら、SEで小山田壮平が流れて、隣の女性が「葬式でこれかけて欲しい~」と言った。しばらく隣は「死ぬときにかけて欲しい曲」で盛り上がっている。わたしも勿論考えたけれど、いくら考えても一曲も浮かばないままフロアの明かりが絞られていく。
「時々」という曲がゆったりとしたアレンジで、「帰れないときに時々行く場所が 誰にも見つけられないように」とナナさんが歌って、わたしは背中の方からじんとして、涙ぐむ。

0221
会社の年の近い人たちと飲む。日付を回ったころ、好きな先輩が酔っぱらって、「明日のことは明日かんがえよう?」と諭すように何度も言うから、ますます好きになる。

0222
朗読で参加する演奏会のリハーサルにいく。演奏者のひとたちとはあまりにも久しぶりな再会なのだけれど、近い距離間で話してくれて、わたしは整いきらずに少し身勝手なことを言ったりしてしまう。帰り道すこし落ち込む。

0223
演奏会の朗読をして、帰りは車にのせてもらった。わたしは友達の車に乗るのが大好きだ。都心へ向かう高速道路は複雑で、「あともう一個先じゃない?」とかスマホを見ながら走る。おびただしいビルの四角い明かりと遠くに見える航空障害灯、「ねえ、まるで"東京"にいるみたいじゃない?」と興奮気味に言っていると友達は笑って、「きみは車にのせがいがあるね」と言う。

0224
夜遅くまでエンジニアの友だちと、リリース予定曲のミックス(録音した曲の聴こえ方を調整する作業)をする。「今のだと円の中にすっぽりなのね、このさ、おでこと前髪だけボーカルが出てる感じなの」と感覚的なことを言うと、「了解了解」と細かく調整を試してくれる。
わたしはこのやりとりがとても好きだ。そこに他者との感覚の受け渡しがあるということ、そこで起こる微妙なズレも輝きの一つになること。制作と技術の間にある「持ちつ持たれつ」の関係。

0225
長い時間うちあわせをしたら、すっかり疲れてしまって、休日に来ればいいやと思って会社から帰ってしまう。ゲーム(モンハン)をのりしお味のポテトチップスを平らげるように、する。

0226
日中、短歌の展示を観に行く。おもったよりずっと栄えている町田駅。Vaundyの「おもかげ」のセルフカバーを聴いていたら、呪術廻戦に抱く感情と同じ、なんか「時代性」とでもいう共感がそこにあって、リピートしながら駅前を抜ける。「僕らはこうしてどこにも見せない愛で満たしてる本当」やって。

0227
上橋菜穂子「鹿の王」を読み終わる。駅にあるベンチで最後数枚をめくる。バス停まで歩いている中、「帰ってきた」というかんじがぼんやりとしてくる。長編の物語を読むということ。

0228
10時過ぎたのに仕事全然終わらんくてわらう。久々タクシーで帰るんかなぁ。ゆうらん船のEPを今日何回リピートできいたろう、頭がぐるぐると回っていて、「やってみたい」が現実を通り越してしまっていて、でもそうなると早起きできるよね、多分3月は元気よわたし。

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