見出し画像

透明な壁越し

上司に焼肉に連れていってもらう。社会に入る前に思っていたほどその「飲み会」というイベントは物悲しくも鬱々しくもなく、それなりに貴重な体験として(特にコロナと同時に社会人になったので)心に残った。とは言ったものの、その時のことをこうして書ける場所があったりとか、短歌にできたりとかそういった、「どんな経験も面白い」みたいな考え方?物作りの方法?をしているからなのかもしれない。これがもしポケモンの実況をすることにだけ人生の楽しみを見出しているような人間だったとしたら、どうだったか。

焼肉は苦手だ。お肉を焼くには主体性の二段階上昇が必要で、普通の食事とはちと違う。焼けすぎとか、ビールが少ないとか、次何頼むかわたしが決めなくちゃ、とか、気がつくには気がつくけれど、そこから体が動かないのである。

印象的だったのは、「本当に好きでこの仕事をしているのか、わからない」と直球で言われたことだ。そりゃ、見透かされているよなあ、と思う一方で、そう思われないくらいに、うまくこなせるようになりたいな(その「こなせる」という考え方がある以上仕方がないのかもしれないけれど)と思った。誘ってくれた上司をはじめ、わたしの会社はみんながみんな、休日も含めてずっとしごとのことを考えているようなところで、それくらいの「やりがい」があるのは理屈ではわかるのだけれど、わたしには一切それがないのである。それよりも、こうしてささやかなものを言葉にしていくこと。そしてやがて自分なりのフェチズムを持った書籍として形に残すこと、あるいは音楽をリリースすること、ささやかな日常を綴る映像を撮ること。そのことに対してだけ、わたしは多分、身を乗り出して動くことができる。

なんだかだから、会社の飲み会はいつもどこか、透明な壁越しに話すような、そんな感じで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?