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バス停で吹き荒れる風と諦め

日記を毎日書くのを再開する。三日坊主の香りが香ばしく漂っている。これでも先年は2月14日から年末まで続いた。けれど先年は先年、今年は今年である。

あえて書くことではないけれど、わたしは言葉を書くことと、音楽を作ることと、映像を撮ることを主に行なっている。しごとも同じようなものだし、生活の大部分をそれに費やしている。それらは奇妙な三角関係を持っていて、その関係性を研究することが、言うなれば自分のライフワークなのではないかと考え始めてきた。要は人生をかける楽しみが自分の内側に向いている、ある意味ですごく閉ざされたタイプのそれなのである。

今日はえらく風が強く、けれど少し涼しいくらいで、バス停に降りた瞬間に吹き荒れる風に崩れた前髪が、サラサラとおでこに当たってどちらかというと心地よかった。耳元にはVaundyが流れていて、ほんと、「自分の時代の曲」という感じがとても強くした。感覚的な話だけれど。「思い出すことも無くなってしまうだろう、しまうんだろうって」と、とてもフラットな、諦めとして歌われている。お目当ての服がなかったみたいな、そのくらいの軽さの中で。

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