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漫画・アニメ『映像研には手を出すな!』感想 表現欲の正しい発現


 えー、コロナショックにより、映画館での新作映画を堪能することが叶わない状態が続いていて、まあ、はっきり言えば腐っていたんですけど、それにも飽きたので感想書き再開します。映画だけではなく幅を広げてやりたいと思います。
 今回は、原作漫画・アニメ作品共に、現代の最高峰に位置する大傑作『映像研には手を出すな!』です。


 芝浜高校に入学した、臆病で人見知りながらアニメ制作を夢見る浅草みどりと、経済利益の出る活動が好きな金森さやか。
 二人は、同級生でカリスマ読者モデルとして人気の水崎ツバメと、ひょんなことから知り合い、実は水崎ツバメがアニメーターを志していることを知る。
 人気読モの水崎ツバメが製作したアニメ作品なら、金が生み出せると考えた金森氏は、ためらう浅草氏を焚きつけて、3人で「映像研究同好会」としてアニメ制作を始める…という物語。

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 「月刊!スピリッツ」で現在も連載中の漫画作品であり、それを原作としたアニメ作品も、今年の1月から3月にかけて放送されました。アニメを手掛けたのは、『ピンポン』『DEVILMAN crybaby』などで知られる湯浅政明監督。

 2020年はコロナショックで世界が騒然としてしまっているわけですけど、そのインパクトに負けないくらい、原作漫画・アニメ版共に作品としての素晴らしさが突出していると思います。10年後にはコロナウィルスの記憶を語るのと並んで、「あれをまだ読んでないの?」「観た方がいいよ」なんて語られている作品になるんじゃないでしょうか。

 原作漫画を描いた大童澄瞳さんは、独学でアニメーションを学んでいて、漫画を描き始めたのも、個人製作でアニメを創ろうとしたけど、作画量の多さに諦めて、絵コンテを漫画にした方が早いと思いついたからだそうです。つまり、漫画作品のアニメ化というよりは、元々アニメ用に描かれた要素の強い作品なんですね。ここはアニメ化成功要因の一つだと思います。

 アニメ制作をする学生の物語なので、もちろん、業界外の人には新鮮に映るアニメ制作の過程が描かれていくんですね。特殊な業界を描くお仕事ものの物語でもあるし、高校の部活動という設定から見ると、マイナー部活のスポ根漫画的でもあります。
 でも、アニメ制作のディティールよりも、テーマは深いところにあって、本当は「クリエイティブ」そのものを描いていることだと思うんですよ。

 エンタメ作品の物語を描く時、主人公の動機を、ライバルに打ち勝つためだったり、大会で優勝するためだったりと、どうしても「競争」にしてしまいがちですよね。その方がわかりやすいという、読者におもねった結果だと思うんですけど。
 けど、この作品での浅草氏と水崎氏のアニメ制作をする動機は、どちらも自分の内にある表現欲なわけですね。これってクリエイターの姿勢としては、めちゃくちゃ正しいと思うんですよ。いかに自分の欲求を満足に近づけることができるかの勝負なんですよね。しかも、完全に満足させることは一生あり得ないということまで理解して描いているんですよ(4巻第26話「世界の見え方」参照)。そこに妥協ではなく立ち向かい続ける、これがめちゃくちゃカッコいいと思います。

 プレイヤーとしてアニメを創り出していくのは、浅草氏と水崎氏の突出したセンスなんですけど、本当に天才なのは金森さんのプロデュース力だと思うんですよね。ビジネスウーマンとしての才能がズバ抜けている。
 2人にハッパをかけたり、締め切りを守らせるために暴力的にケツを叩いたりしつつも、どう説得しても2人が妥協しない所では、瞬時に諦めて好きにさせる方向に切り替えるなど、何しろクレバーな対応が読んでいてシビれるんですよ。2人の表現欲を、ただのお遊びとして発散させるのではなく、きちんと外側の世界に通じるものにさせようとしているのが、金森氏の手腕だと思います。
 金森氏のビジネス視点と、浅草氏・水崎氏のレベルの高い自己満足欲が合わさることで、映像研のアニメ作品が、学生の部活動とは一線を画す高度な作品になっているんですね。プロフェッショナリティーがあるんですよ、プロフェッショナリティーが!!(🄫沙村広明『波よ聞いてくれ』)

 湯浅政明監督のTVアニメ版は、この原作を再現しつつも、映像だと間延びしてしまう行間をきちんと埋めて、過不足なく描いており、原作漫画と両雄並び立つかのような大傑作でした。
 芝浜高校の特異な校舎、細分化された部活動、生徒会が自治体として機能しているところなど、原作から描かれている設定ですが、とても湯浅監督ぽい世界観ですよね、本当にこの組み合わせは、ベスト中のベストだったと思います。

 加えて、浅草みどりを演じる伊藤沙莉の少年声も素晴らしいし、OP映像とともに流れるchelmicoの『Eazy Breezy』も抜群にセンス良いですね。

 僕は、原作本とアニメを並行して鑑賞していったんですけど、アニメ版は序盤で原作を完全再現していながら、徐々にオリジナル要素が強まっているんですよね。それがクライマックスの「芝浜UFO大戦」で結実するという構成も見事です。
 原作での「雑居UFO大戦争」という劇中作品をアレンジした形になるんですけど、原作ではその後の「たぬきのエルドラド」で成功するストーリー表現を、アニメ版は「芝浜UFO大戦」に込めているんですね(だから若干「たぬきのエルドラド」の要素も感じられるように思えます)。

 「芝浜UFO大戦」は、当初は戦争の終結を祝う兵士たちのダンスシーンで終わらせる予定を、浅草氏のアイデアで改変するというのが、アニメ最終話の山場なんですけど、これってチャップリンの『独裁者』(※)のオマージュですよね。大好きな映画作品なので、ここで泣きそうになりました。

※『独裁者』:チャールズ・チャップリンが監督・脚本・主演を務める1940年公開の映画作品。チャップリンが独裁者ヒンケルと、ヒンケルに瓜二つな床屋のチャーリーの二役を演じる。ラストは、戦争の終結を喜ぶ兵士たちが踊るシーンの予定だったが、チャップリンのアイデアで変更、6分間に及ぶチャーリーの演説シーンがクライマックスとなった。全人類、必見。

 それと、原作とアニメ版、共通して最も好きなエピソードは、金森さんの幼少期の回想シーンですね、お手伝いをしている親戚のお店が閉まってしまうという場面。大人たちは仕方ない事として、大した問題ではなく済ませている所、幼い金森さんだけがショックを受けているという構造で、お涙頂戴なエピソードにならずに、サラッと金森氏の哀しさを表現していますね。こういう自分だけが味わっているような孤独感って誰しも子供の時に経験している感情じゃないでしょうか。

 原作が連載中なので、いつかまたアニメも続編が作られると思うんですけど、いずれにせよ今後の展開がめちゃくちゃ楽しみですよね。
 この先、掘り下げていくなら、この世界が2050年代の設定であるという世界背景そのものじゃないかなと思います。ちょくちょく戦争の跡が随所に見られるのも、第2次世界大戦と思わせながら、また別の大戦があったという設定な気がしますが、どうですかね。
 それと、生徒会書記のさかき・ソワンデを始めとして、ナチュラルに人種のミックスが起こっているのも、ありがちなSF感を出さずに2050年代という空気を出していて、すげー巧みな演出だと思います。浅草氏のアニメが設定命なのと同じく、大童澄瞳さんの設定も世界観の奥行があるんですね。

 原作では、アニメ制作の細かいこだわりだけでなく、販促広告、論評、聖地巡礼的なアニメツーリズムによるマーケティングなど、アニメの外側にまで広がって描こうとしています。ちょっと情報量が多すぎて、ついて行けるか心配になるレベルになりつつありますが、読んでいてそれが快感でもありますね。個人的には「人を傷つける可能性のある表現はどこまで許すべきか?」なんて、突っ込んだテーマのエピソードを読んでみたいと思っています。

 『映像研には手を出すな!』本当にリアルタイムで体験することが自慢になるような大傑作です。原作とアニメ、どちらから入っても最大限に魅力を堪能できると思います。いやあ、素晴らしい。


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