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桜色  シロクマ文芸部

本文 【1139字】

桜色やとしても、それは何色やわかりまへん。
と染め屋は言った。
「桜色の大判のハンカチ、できませんか」
できんな。桜色いうのはな、桜の色でしかないんやわ。桜らしい色はいろいろ試さはった。その上で敷居の高いウチに来はった。違いますか?
だいたい色いうもんはその人の頭の中にしかおまへん。あんさんの赤と私の赤は違ういうことですわ。それを取り出すには、その人に選んでもらうしかない。色見本は見せはったんか?
そうか、見せたんか。
絵の展覧会行ったら図録いうの売ってますやろ。あれを作るのにもたいそうな根気がいりますねん。本物の絵の色と図録の写真の色は同じにはならん。それを如何に近づけるかいうのに、みなさん力を注がはるんです。色いうのは一筋縄ではいきまへんで。素材によっても発色が違いますさかいな。
桜鯛の色、色白の女性がほんのり頬を染める色、桜色いうのはイメージですねん。
あんさんはこの世には何色くらい色があると思わはる?
「それは・・・わかりません」
ほしたら白と黒の間にグレーはどれくらいあります?
「それは・・・たぶん」
それは0と1の間にどんだけ数字があるのか、いうのんと同じ質問や。
「ああ、無限に」
そや。その中からその人が思う色は一色。それを当てずっぽうで取り出せなんてのは無茶でっせ。
桜色言うても桃の花に近い濃いのんから、ほとんど白と言えるもんまである。
人が風景を描く時、12色で描く人もおりゃあ膨大な色を使う人もある。それが個性いうもんです。12色でも芸術性の高い絵は描ける。浮世絵がほんの数色でできてる思うたら大間違いでっせ。あの中にはいろんなグラテーションが紛れ込んでるんです。優秀な刷り屋いうのはそれを表現できる職人や。
その頑固な、いや繊細なクライアントさんを満足させるには、ここに連れてきてもらうしかおまへんな。
「それがお忙しい方でして」
そやったら無理やな。
「そこを何とかサンプルを一度作ってもらうわけには・・・」
期限は?
「今年の桜が散るまで。200枚作ってほしいのですが、まずはサンプルでOKもらう必要があるんです」
あんさんも知っての通り、ウチは高いで。サンプルいうのはほとんどの工程を一度やることになるさかい、それだけで結構な額になりよる。
「それでも構いませんので」
で、そのお方はおいくつや?それから職業。
「28才の芸妓です」
ほほー芸妓はんかいな。それもお忙しい。
 
1週間ほどしてサンプルが出来上がった。舞う桜が一面に散っていて、そのあわいから青い空が覗いている。
染め屋曰く。
ひとつの賭けや。桜色と聞いて、桜のある風景をイメージしはる方もいはる。期限は桜が散るまでやったな。そこで風に舞う桜か、水に浮かぶ桜か、どっちかにしてみよ思うたんや。
さらに一週間後、無事納品が完了した。


小牧部長さま
よろしくお願いいたします。


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