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風呂屋の親父 (アルバムの中の交々)

風呂屋の親父 (エッセイ)

10分も歩けば2軒の風呂屋があったのは、もう遠い昔のことのように感じられる。それぞれに贔屓(ひいき)の客を持ち、一方がお休みの日にはより多くの客が訪れた。客の方もそれを見越して、空いた時間を見計らう。

今ではどの家庭にも風呂はある。にも拘わらずわざわざ風呂屋に足を運ぶのは、体を清潔にするのは勿論、心を解放する意味もあるからだと思っている。
風呂屋の魅力は心身の浄化なのである。

京都紫野(むらさきの)にこんな風呂屋がある。古風な門構えと庭、そして屋内は歴史を感じさせるしっとり落ち着いた意匠、タイルも一つひとつ凝っている。最新設備はなくとも、こんな風呂屋は客足が絶えない。

昔、風呂屋の親父が言っていた。
「風呂屋は掃除と釜焚きや。」
しかし、今やそれだけでは生き残れなくなってしまったのである。

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