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鳥だったら  山根さんの企画

鳥だったら?何を言いたいのかよくわからないけど、私は鳥ですよ。あなたたちの社会で私のことをなんと呼んでるのかわからないけど。
調べてもいいんだけどね。でもきっとくだらない名前つけてるんでしょう。だから見たくないんです。極楽鳥とかアホウ鳥とか・・・
だからやっぱりやめとく。がっかりするの嫌だし、また会えるかどうかもわからないし。

あなたたち人間は私たちを見て、空を飛べていいな、なんて不思議なことをよく言ってますよね。あなたたちだって空を飛んでるじゃない。快適な空の旅を!とか言って。それと変わらないですよ。

車は窓を開けて走りますか?走らないでしょ!髪が乱れるから、とか言って。私だってできるなら窓を閉めたいよ。つまり私たちの優位性なんて全くないんです。

それに、これは大事なことだからしっかり聞いてほしいんだけど、飛び立つ時ってすごく力を使うんだよ。もう嫌になるくらい。狐に襲われたた時だったら、何も考えずに反射で飛んじゃうけど、普通はグッと力を込めて、エイヤーって飛んでる。
あなたたちがぼんやり歩き出すのとは訳が違う。
小鳥だったらまだ軽いから楽だと思うよ。でも、彼らには体温が逃げやすいとか、熱が篭りやすいとかいろいろ問題があるみたいだ。これは失敗したら死んじゃうんだよ。

それにね、私たちが自由に飛んでいると思ったら大間違い。そんな事情だから、私たちが飛ぶときは常に理由があって、目的がある。あなた方の散歩とは違うんです。
だから簡単に鳥だったら、とか言わないでほしい。
わかる?この私の思い。
 
 

これはある鳥氏、種類は伏せてほしいとのご本人の希望があるため、あえて匿名匿種にさせていただいていますが、彼にインタビューした時の貴重な録音をお聴きいただきました。
 
彼の主張には、確かに頷けるとこがある。彼は「鳥だったら」と考えることを否定しているわけではなく、それならそれで、それぞれの習性や生活も含めて考えてほしいと言っているものと私は捉えました。そこには彼の鳥としての誇りも感じられます。

では彼ら、鳥とはどういうものでしょうか。彼らの翼は私たちの腕にあたる部位です。飛ぶためには、それを自分の体が浮くほどに羽ばたかなければならない。
そのための筋力はどれほどのものが必要となるでしょう。運動選手でもない私たちは鉄棒にぶら下がるとすぐに落ちてしまいますが、体を浮き上がらせるにはそれでは全く足りない。
腕が羽ばたくことに特化されている理由もそこにあるように思われます。
 
もしあなたが、空を飛べることと引き換えに、腕と羽根を交換してやると言われたら、交換に応じるだろうか。それは考慮するどころか、すぐに却下するくらいの案件ではないでしょうか。
そしてそれを支えるエネルギー確保のために彼らはどれだけの食餌が必要か考えたことはあるでしょうか。植物の実を啄む小鳥は、その活動のほとんどの時間を食餌に充てている。また動物を捕食する猛禽についてもその困難さは想像に難くない。
 
私たち固有の生命体はそれぞれの特性を持って生まれてくる。たやすく他の種を真似して生きることはできない。
しかし我々は科学技術という魔法で空の旅を可能にした。これで愛する人の元へも飛んで行けるわけです。近場ならぶつぶつ文句を言わず自転車で行きたまえ。
 秋野福朗氏 鳳鳥類研究所 主任研究員着任挨拶より 抜粋


山根さん
よろしくお願いいたします。


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