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桜吹雪   シロクマ文芸部

本編   【533字】

花吹雪の中、男はうずくまっていた。
「どうかなさいましたか?」
男は俯いたまま、路上をじっと見つめていた。
「お腹ですか?」
「いえ、何でもありません」そう言うと男は鼻を啜った。
男は泣いているように見えた。
 
私は立ち去ることができなかった。どうしてなのか私にもわからない。
 
男は両膝に手を置くと、無理やりのように立ち上がった。
彼の頭はするすると私の目線を凌駕して、目の前は男の肩になった。
その横顔はやはり泣いていた。
「すみません。何でもないです」
また鼻を啜り歩き始めた、少し背中を丸めたスーツの膝から下が濡れている。
私はただただその背中を見送るしかなかった。
 
私は男がいたところに自分を置いてみた。
昨夜の強烈な雨、そして今朝からの風で桜が舞っている。春に相応しい美しい桜のクライマックス。散り落ちた花びらが、雨の名残の中に浮かんでいる。
 
それは突然の知らせだった。男は会社の自分のデスクで電話をとったが、途中から何も聞こえなくなった。
赴いた病院の暗い部屋で、白い薄いベールを被った妻と娘に会った。穏やかな顔だった。
それはちょうど一年前のこと。
もはや愛でられることのなくなった、路上に踏みにじられた桜を、男は見過ごすことができなかった。
そんな映像が私の頭の中に浮かんで、散った。
        了


小牧部長さま
よろしくお願いいたします。


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