見出し画像

【旅行記(2)】 『浦嶋旅行』

 浦嶋太郎のゆかりの地を訪ねるために旅行を続けている。旅先でガイド役を買って出てくれる人が現れたり、祭りの撮影スタッフに同行させてもらえたりと、この旅では親切な人と幸運に本当に恵まれる。自分一人では、人に請い、観光として入れる領域以上のところに入れてもらう勇気が正直わかない。そんなことではてんで取材にならないのだが、出会いと成り行きのおかげで、知ろうとする以上のものに触れることができている。
 すべての始まりは、書いている小説が浦嶋太郎を題材にすることに決まったときであった。そこで浦島太郎について調べてみると、浦嶋太郎ゆかりの神社が丹後半島の伊根町にあるという。しかもその調べた翌日に、祭りが控えていた。こんな偶然はあるまい。私は驚くほど早い決断をし、旅立った。三月のことであった。

 じつはさほどの旅好きではない(旅行のエッセイを書いているのに、なんといういう問題発言!)。根が面倒くさがりである。わざわざ外に刺激を求めに行く手間をかけずとも、手近なもので楽しむことはできるはず、というひきこもり思想のひきこもり体質なのだ。幼い頃も家族旅行のありがたみなどわかっておらず、毎週観ているテレビ番組が観られなくなる、などと不平を言い、正直迷惑にさえ思っていた。そんな私が大人になったので、自分で旅を企画しない。周りが皆、まとまった休みの中で一人であれ友人と連れ立つのであれ、国内外にせっせと旅行をするのを、よく行くなあと冷めた目で見てきた。ああ、とうとうばらしてしまった……いや、こういう人はいるだろう。
 そういう私が、突然旅に出たのである。

 時刻表を睨む。すでに午後であるが間に合うようだ。飛行機のキャンセル待ちは、私までがギリギリ乗れることになったので、本当に幸運であった。できればその日のうちに伊根町に入ってしまいたかったが、バスの時刻に間に合わない。それでもその手前の町にまでは行ける。私はその町にある旅館を予約した。この手の手配を苦手とし、ずっと避けてしてこなかったから、自分でも本当に驚きである。
 立ち寄ることになった旅館で、また驚くことがあった。図書コーナーにあった地域の広報冊子に、地元の方言で浦嶋太郎を書く試みがなされていたのである。こんな冊子はまず目にしようと思っても、縁がなければ無理だろう。私は、たまたまぎりぎりで旅をすることを決めたが故に、まっすぐに伊根町には行けず、この冊子に出会えたのである。

 翌朝、バスでの移動となる。交通手段としては乗り間違えやすく、その場合着く先はかなりさびれたところである可能性が高い。本数が少なければ、しばらくの待ちぼうけもくらい、修正には困難を伴う。旅をしてこなかった自分が、知らない土地で、リスクの高いバスにまで乗って出かけるというのが驚きである。だが旅とは、無事に目的地に着くミッションだ。私には現地に着く強い使命がある。緊張の中、そう自分を鼓舞しつつ景色を楽しんだ。
 それにしても狭い路地を行くものだ。運転技術を要するだろう。無線で対向車がないことを確認しないと通れない道さえあった。山に入ると、「峠」などというなんともシンプルでわかりやすいバス停さえあった。よその土地に来ているということを実感する。
 かくして伊根町に着く。田畑が広がり、山々が広がる。そのような自然の多い土地でありながら、京都府なのである。日本というのは広いものだ、と思った。バス停から降りて最初に目にした家の表札を見ると、小説の登場人物に使おうと思っていたのと同じ苗字があったので、偶然とはいえ、私は来るべき場所に来たという感動に震えた。

 ついに宇良神社の前に立つ。私が目指したのはまさにここなのである。
 浦嶋太郎の伝説は、万葉集と日本書紀にその記述を見ることができる。元の名前は浦嶋子(うらのしまこ)だ。「子」がついても男性である。浦嶋子について、まとまった物語が記されているのは『丹後風土記』らしいのだが、現存していない。ただ『丹後風土記逸文』というものがあり、そこに浦嶋子の伝説がまとめられている。オリジナルのバージョンが残っていないのはまことに残念である。
 丹後風土記逸文によると嶋子は、與謝の郡、日置の里にある、筒川の村の人ということになっている。筒川という川は今も流れており、筒川の村は今の伊根町にあたる。そこにある浦嶋子を祀っているのが宇良神社である。まさに由緒正しい浦嶋伝説の土地である。
 時代が進み、浦嶋子はありがちな名前として浦嶋太郎となる。物語が今日知られている形になると、嶋の字も簡単になって浦島太郎と記載されるようになる。私の旅は、その移り変わってきたものを、逆にたどってきたということになる。

 小規模な祭りであった。観光客などもいない。餅まきなどのちょっとしたイベントというか神事というのかがあって、幼い者からお年寄りまで、地元の人々が集まっていた。中学校で英語を教える外国から来た教師の姿もある。いずれにせよみな、そこに暮らす人々であり、日頃身近にお世話になっている神様の元に集まっているのである。その点私は、勝手な思い入れが強いだけのよそ者である。いや、怪しくさえあったかもしれない。

 夏には神輿をかつぎ、笛太鼓に合わせて踊る、日本の祭りらしい祭りがあるということであった。それも、持ち回りで担当する地域ごとに、踊りが少し異なるという。私は、この地を訪れつづける理由を見つけた。
 若者の多くは、都会に就職している。祭りには人手が必要なので、そのために皆わざわざ帰省するらしい。だが、休みを取るのが大変だということだ。だから土日に祭りをずらせないか、という希望もあるようなのだが、なにぶん神様の行事である。日にちにも意味があるので、じゃあ動かしますと容易にも決められない。そんな地方ならではの事情をかかえた中で長年続けられている大イベントを、私は旅人として覗き込むことにしたのだ。

 さて、住民にまじってわたしも餅を拾おうとしたが、手に入れられなかった。いや、ともすればあれが本当に餅であったかさえわからない。
 かの土地にもう少し積極的に入り込み、また受け入れられた頃には、拾うことができるだろうか。

〈了〉

よろしければこちらもどうぞ。


Ver.1.0 2020/6/23

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?