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観察者

人を観察する仕事をしている。それも、人の異変を察知する仕事を。


精神の病を見ているのだ。だから、標準というものからのズレに厳しい。それはときに不評である。「正常と異常の境界なんて、どうやって決めるんですか?」などという質問を、もう何度浴びせられたか分からない。それについては相手に合わせていくらでも語れるが、ここではただ「異常を見分ける視点は、人の役に立つ」とだけ言っておく。


異変とは、その人の時間的な変化にも及ぶ。一般的には正常の範囲であっても、「この人が小声で挨拶するのなんて、いつもとは違うな」とか「明るい服装に変わった」そんなささやかな変化から、仮説を立て、類推し、検証し、その人のために役立てる。


こういった観察に神経を注ぐ仕事はほかにもある。東野圭吾氏のマスカレードシリーズは、刑事とホテル従業員という、一見正反対のところにいる二種類の観察者たちの物語だ。


私は、鋭い観察力を持った人が好きだ。そのような人の物語も好きだ。以前、人を見抜く眼力を競わせる『メデューサの瞳』というテレビ番組があり、好んで観ていた。あの番組にも刑事やホテルマンが解答者として出演していた。他にもさすが、と思う人が次々と登場した。私も出たかった(笑)。


ところで観察には、影響が伴う。「黙って観察するだけですから」は通じない。じろじろ見れば不快に思われる。詳細に見ようとすることは、観察される者にとって刺激なのだ。だから、「相手のために観察する」はかなり難易度の高いことなのである。そういう点で私の立場は、フロントクラークの山岸の立場と近いかもしれない。

一方刑事の観察は、獲物を捕らえる目である。獲物が誰かは、最初からは判らない。自分の存在や意図に気付かれずに、なおかつ相手を知ろうとする。これもまた相矛盾する行為である。


観察が主の仕事ばかりでなく、職に就くということは、視点を得ると言うことである。他の生き方を捨て、ある生き方に特化する。そのとき、その職ならではの世界の見方を手に入れる。

本来水と油である刑事とホテル従業員は、つまるところ秩序や誰かの幸せのために存在するサービス業である。しかも己の『眼』というものを頼りにする職業同士、相手の眼を自分のためにも役立ててしまう。



違う職種の視点は、それが特殊なものであればあるほど、理解しがたくなる。それは物語では緊張感を呼び、最高の味付けとなる。水と油が乳化する瞬間である。


たぶん私は、人を観察することが好きなのだろう。個人の足跡を見て、今の姿を見て、その先に思いを馳せる。それがひとり、またひとりと過ぎていくという群像劇がたまらなく好きなのだ。深入りするほど、己の眼力を養うほどに、人が愛おしくなる。


ふたつの視点で巨大な空間の人の行き来を眺め楽しむことができる。マスカレードシリーズは私にとって最高の『グランドホテル』物語である。



#ミステリー小説が好き

#マスカレード

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