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嫉妬

嫉妬は、僕の最も嫌うネガティブな感情です。
なぜなら、嫉妬は全てを破壊してしまうからです。
嫉妬は、人間関係を壊してしまいます。
そして人間関係が、社会やグループの繋がりを作っており、その中で様々なものが生まれ維持されるからです。
その人間関係を壊すことは、そこで育まれた全てを破壊することに繋がります。

ここで記することは、あくまで僕の私見です。
異論、反論あるかと思いますが、僕の一洞察ということでご了承いただければと最初にお断り申しておきます。

嫉妬の根にあるのは、恐れだと思います。
それは、何かを失う事への恐れでもあります。
嫉妬には、いくつかの種類があると思います。
分かりやすいのは、女性的な嫉妬と男性的な嫉妬。
女性的な嫉妬によくみられるのは、男性からの寵愛に関する嫉妬だと思います。
分かりやすいのは、江戸時代の大奥の女性達の戦いではないでしょうか。
大奥の女性は、将軍の寵愛を得ることに一身をささげます。
これが、自分の地位を守るからです。
もし、将軍との間に子を設けようなら、大きな後ろ盾ができます。
ある意味、これが古い時代の女性の典型的な生きる術だったんだと思います。
現代のように、女性が社会進出をし、経済力を持ち自立できる時代ではありません。
女性が生きるには、殿方の加護が不可欠になります。
だから、殿方に尽くして、殿方の地位が上がり経済力が増したところで、その傘に入るしかないわけです。
中には、そんな経済力よりも夫婦の愛情を重んじた女性も存在したと思いますが、極端な話ひもじい思いをしなければならなかったと思います。
もしかすると、食料の自給が現在より簡単だった分、生きられたかもしれませんが、それでも豊かさとは縁遠い生活になったことでしょう。

これが、女性の生きる道でした。
その為に、女性はできるだけ良い殿方と巡り合い、寵愛を受けることが望まれたのだと思います。
そういった中で、自分より殿方に愛される女性の存在が近くにいたり、実際に愛されていたりすると、自分の存在が危うくなるわけです。
つまり、自分の地位を失う恐れが立ち上がってしまいます。
これが嫉妬なのだと思います。
現在は、そのようなシステムはありませんが、長い歴史の中で、女性本来の心理的付着物というのが引き継がれてきたのだと思います。
女性もある種の競争社会で生きてきたのです。
これが、人間本来の愛情であるとか、心持ちといったものを歪めてくだのだと思います。
それは、そうした競争原理を人間関係に持ち込んだ存在の影響だと考えます。

男性は、この競争が権力争いや出世争いといった経済競争になります。
なので、自分より出来のいい同僚や、出世した同僚や後輩に嫉妬の気持ちが向かいます。
女性的な嫉妬を大奥に喩えたなら、男性的なのは貴族社会かもしれません。
その元には、自分の立場を失うことの恐れや、自分の望みを妨害する結果になることへの恐れがあるのではないでしょうか?
これは、ライトワーカーやスピリチュアリストにも見れます。
自分の存在価値を失う恐れや、スピリチュアルビジネスをしている方は、顧客が奪われることを恐れて、他のライトワーカーを非難したり攻撃したりしてしまいます。
そこに、嫉妬心を掻き立てる存在が関与すると、ライトワーカーを汚染し、対立問題にも発展していきます。
余談ですが、浄化の必要のないと言われていたチンターマニ石ですが、今では汚染されるケースがあると聞きました。
その原因が嫉妬のエネルギーだったとも聞いております。

一般的な例では、自分の恋人が他の異性と仲良くお話したり、会社の同僚が大きな成果を上げた時とかに、自分では気づかないレベルから、大きな動揺と不快感という自覚的な症状に見舞われることだと思います。

嫉妬心は、誰もが持つネガティブな感情です。
しかし、誰もが持つが故に一般的であり自然な感情でありネガティブだと考えられない人もいると思います。
だけど、僕はこれは本来の愛とは違った感情であり、歪んだ生活環境によって育まれた心理的付着物だと考えています。
それ故に、この感情は私達が目指す愛の世界や一元性、ワンネスの世界に入るためには、不要で浄化すべきものだと考えています。
その為には、嫉妬の原因が恐れであるのなら、その恐れを癒す必要があると思います。
誰もが、自然に愛情を表現し合い異性と接することができて、その喜びや幸せのエネルギーを祝福できる人間関係。
誰かが偉業を達したなら、その成果により恩恵を受ける人がいるわけだから、その事を素直に祝福できる環境。
それが、人間本来の愛に基づいた関係性だと思います。

特に私たちがアセンションを目指すのであれば、本来の自分を取り戻す必要があります。
それは愛に基づいた存在であり、恐れや嫉妬を手放した存在でもあると思います。
今の私達は、恐れに支配された存在です。
それは、愛とは別の環境下にあります。
危険察知と恐れは似ていますが異なります。
恐れを愛に変換できれば、嫉妬心も癒さるのではないでしょうか?
そして、それは重要なアセンションプロセスの一過程でもあると考えています。

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