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インタビューは会話じゃない

普段、私たちが他人とする言葉のやり取りといえば、会話だ。仕事となると議論や会議といった目的が明確に存在するやり取りもあるけれど、大半のコミュニケーションは、特に目的を意識することもない雑談がメインだろう。

会話はコミュニケーションであり、交流だから「自分の気持ちを聞いてほしい、分かってほしい」というのがお互いにある。

お互いに話したくて、お互いに聞いてほしくて、2人なら2人の「話したい欲」が、ぶつかり合う。それが同じテーマで、共感しつつ行われれば、それなりにお互い心地よく満足できるけれど、相手が話してばかりで、自分が聞くだけだと、消化不良になりやすい。

話すのが好きな人、寡黙な人、あまり自己表現しない人、もちろん色々いて、感情は表に出さず、内に秘めているという人もいるけれど、話したい・聞いてほしい欲は万人が持っているといっても過言ではないくらい、一般的なものだ。人は自分のことを知ってもらいたい、分かってほしい生き物。

勿論、お互いの関係性とか、親密度によって、どこまで話せるか、どこまで共感を求めるか、などといったレベルは変わってくるけれど。

だけど、インタビューとなると違う。話を聞く側話す側。明確に役割が分かれる。

インタビュイー(インタビューされる側)は、それこそ好きなだけ話せる。自分一人で話し続けて良い。インタビューなのだから。インタビュアーは、ほとんど自分の話はしない。相手の話を引き出すのがその場での役割だから。

せいぜい相槌を打つくらいで、感想すら途中では言わない。評価もしないし、邪魔もしないし、「個人的に気になるんですけど」的な質問も、なるべくしない。

特に、コーチング的なインタビューとなると、その辺りは徹底される。

答えている人が、少し寂しくなるくらいに。もうちょっとインタビュアーの意見や感想も聞きたいよ…ってなるくらいに、インタビュアーは聞き役に徹する。質問はするけれど、それもあくまで補助的なものであって、本人が読者に必要な材料を全部喋ってくれていたら、質問すら最小限になるのかもしれない…とまで思うくらいに、質問者は影が薄い。

だけど、実は難しい。高度な技術を要する。誰でもできるようでいて、そんなことはない。

邪魔をしないこと
だけど本人が思考を深められる手助けをすること
こちらの価値観を入れないこと
あくまでフラットに、さりげなくそこにいて、気づかれないように深い方へと押していく

今回のインタビュアーという仕事は、そんなものになりそうだ。

コンサルティングではないから、インタビュイーに何か悩みがあっても、私は解決策の提示はしない。アドバイスはしない。それに対して意見は述べない。

ただ冷静な目を授ける。
まずはその悩みを客観的に眺められるように促し、一歩引いた目線を提供する。問いかけによって。

解決策は出していないようでいて、それが実は、解決への第一歩であったりするのだけど、あくまで本人に気づいてもらう。

だから、コーチングに近い。

その悩みがどんなもので、
それがなぜ起きていて、
これからどうしていきたいのか、
そのために何ができるのか、

それを聞く。尋ねる。改めて冷静に考えてもらう。

面白い…
これって、言葉で言うのは簡単だし、質問さえ用意すれば自分一人でもセルフコーチングはできそうだけど、それも意外と難しくて、他人に問いかけられるというステップが、結構大事なのだと思う。

それがインタビュアーの存在意義だ。

きっと熟練していくにつれ、

絶妙な間であったり、
心地の良い相槌であったり、
相手の心を開かせる言葉遣いであったり、

そういうスキルを私は身につけていくのかもしれない。

それがインタビュアーとしての個性の出し方なのかもしれない。

ただ人の話を聞くというだけなのに、その経験は大きな宝になりそう。

今後、何が起きるのか、楽しみ。

人と人が言葉を交わして作り出す相乗効果には、私は元々すごく関心があった。会話も対話も議論もコーチングもカウンセリングもコンサルティングも。

友達関係も
恋愛関係も
親子関係も
同僚や上司・部下の関係も
全部、言葉が介在しているし、ちょっとした言葉が関係性を深くすることもあれば、関係を壊したりもする。

言葉の使い方という単純な話ではなく、
会話、対話の仕方って、奥が深くて本当に難しいものだと感じる。

私はこのインタビュアーという経験を通して、自分の普段の会話をも見直すようになっていくのかもしれない。

普段、身近にいる人に対してコーチングはしないだろうけど、そういう目線を一つ持っていて、やろうと思えばコーチングでもカウンセリングでもできる、と思えるようになることは、会話の方法も変えていくのだろう。

自分が使う言葉一つ、かける言葉のトーンやタイミング一つ違えば、相手の受け取り方も感じ方も、反応も違ってくるんだ、って思うと、ホント全部自分次第。

喧嘩という現象すら、面白く感じるようになるのかもしれない。ぶつかり合いだって一つの出来事。どちらか片方が悪いというものじゃない。

それは、相手と自分が反応し合った結果なのだから。
相手の反応を生み出すのは自分の言動だ。
どちらが始めたのか、どちらが偏った反応を示したのか、その辺に注目したら、世の中の見え方が変わってくるのかもしれない。

緊張するけど、楽しみ。

そんな機会を与えてもらえて、感謝です。

物書きセラピスト りな





ありがとうございます、また書きます。思い出したら、また読みに来てください✨