「自分で選んでやったことしか身につくことはない」

少年野球、高校野球で日本一を導いた2人の監督の対談。この動画もまた須江監督の言語化力が本領発揮されていた。中でも、動画の後半で言われていた、「自分で選んでやったことしか身につくことはない」というこの言葉が今の時代の教育に最も必要な考え方であり、仙台育英のチームカラーを表しているのでないだろうか。 
 今の時代と昔の時代の最も違う点は情報が民主化したという点である。いつも私が例えるのは、学校の校則の話である。例えば親世代が学生だった約30年前では、パソコンもスマホもなかった。そのため、自分の学校の校則が異常で無意味だっとしても、他の学校がどうであるとか比較する対象もない。そのため、その校則に対する不満も生まれないし、なぜやる必要があるのかなんて考える機会もなかったのである。だからこそ、教師は怒る教育、強制的な教育でもギリギリ通用していたのである。それが、時代が変化し、いつでもどこでも外部の情報をスマホ一つで手に入れられる時代になったのである。全国全ての学校の校則を知れるようになり、他の学校と比較できるようになったのである。だからこそ、教師が理不尽に怒った時、生徒が「なぜそれをする必要があるのですか?」と反抗するのは当然なことなのではないだろうか。こう言った生徒の発言に対して、多くの教師は、「今の時代の子は、、」とか都合のいい言葉で片付けるのである。しかし、この現象は当然のことであり、良いことなのである。逆に、意味のないことに何も疑問を持たずに行動してしまうお利口な子供に心配を目を向けたほうがいい。つまり、生徒が動かないのは納得感を持たせられない教師の能力の低さが原因なのである。私の好きな言葉に、「人は説得しても動かない。納得した時に動くのだ。」という言葉がある。これも人の上に立つ人間には、自分主体ではなく、相手主体で考える能力が必要だということを表している。つまりは、今回須江監督が言われていた「自分で選んでやったことしか身につくことはない」というこの言葉は同じ意味を表していると私は考える。
 須江監督は思考の交通整理という言葉で表現されていたが、情報が溢れたこの社会で無意味な思考、やる必要のない思考を徹底的に排除し、やるべきことに集中させる、そんな教育になっていかなきゃ通用しないのだ。

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