「不適応者の居場所」のすすめ 2023年5月【4】
3年ぶりの参加
「不適応者の居場所」に行ってきました。ただ飲食しながらダベるだけの会です。花見のようなものです。今回の会場は代々木公園。私は3年ぶりの参加で、コロナ禍以降では初めてです。
長いこと不要不急の外出を控えていましたが、徐々に街をぶらつくことが増えてきました。この分なら「居場所」にも行けそうだという気持ちになりました。
かつては常連だったものの、輪に入る時には緊張しました。「どうぞ」と招き入れてくれる人がいて助かりました。
3年前に話した人もいて懐かしかったです。もちろん初めての人と話すのも楽しかった。
特に、はるちゃんに会えたのは良かったです。彼の活動には以前から関心を持っており、一度話したいと思っていました。
いろいろな人といろいろな話をしました。特に記憶に残っているのはビートルズのこと。私はここに来るといつも話します。30~40人もいれば、誰かはファンがいるものです。
この会のいいところは、小さな話の輪がいくつも存在するところです。好みに合わせて、簡単に別の輪に移ることができます。
穏やかな人が多いのもいいところです。落ち着いて座っていられます。黙って聴いていても構いません。
今回の会場は屋外だったので、行き交う人々や、木々の葉が風で揺れるのを眺めることもできました。
会は月に一度開催されています。日時や会場は主催者・鶴見済さんのブログやツイッターで告知されます。
私は参加したりしなかったりですが、もし会えたら話しましょう。
あえて適応しない
鶴見さんは「不適応」というのは「適応できない」という意味だけでなく「適応しない」という能動的な意味もある、という主旨の発言をしています。
これは重要なことです。「社会に適応できない」という言葉は「社会に適応すべき」という思想によって生じる発想です。個人を社会に無理やり合わせようとする価値観です。
個人が社会に合わせるのではなく、社会を個人に合うように変えていくべきだと私は考えています。人間は多種多様なのに、少数の「正解」に合わせることを強いて、それができない人間を「不適応者」と呼ぶ。こんな価値観に合わせて自分を否定してはいけません。
「社会に適応できない」と苦笑いしながら自己紹介する人が多いですが、私はこういう自虐もすべきではないと考えます。自虐は自己評価を下げます。
「不適応者」を「適応できない人」と見る人もいますが、それは他者による評価に過ぎません。自分自身までそれに染まることはありません。「適応しない人」でいいのです。
都会は不適応者の居場所
ところで、今回会場となった代々木公園は都会の真ん中にあります。都会には「普通」から外れた人たちがたくさんいます。
私は郊外に住んでいます。人も少なく穏やかな空気が流れています。しかしそれは、平均からの逸脱を許さない空気でもあります。みんな日本人で、みんな「まとも」な街です。
都会は違います。国籍も人種も服装も多種多様です。黒人もいれば白人もいる。宗教上の理由で髪を覆っている人もいる。こういう環境だと「みんなに合わせなきゃ」というプレッシャーが生じにくいです。
「不適応者の居場所」は都会で開催されていますが、そもそも都会じたいが不適応者の居場所なのです。都会は昔から「田舎」「地元」「郊外」といった均質性の高いコミュニティに適応できない(適応しない)人間が集まる場所でした。
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30代実家暮らし、働かず家にいる男の日記(あぎるnote)
著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…
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