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2021年7月26日~29日 小説ではできない表現

【7月26日】
朝5時04分に目覚めた。「あぐり」を観る。エイスケが子供たちに未来の世界を語るシーンがあった。時は昭和11年だったと思う。新聞記事を読み聞かせているのであり、彼の予測ではない。

1.電話の線がなくなる
2.遠距離写真が発明される
3.東京・神戸間を2時間半で走る鉄道ができる

1は携帯電話で、2はインターネットか。3は今でももう少し時間がかかる。1997年放送のドラマであり、私は当時小学6年生。リアルタイムで観ていた。このシーンのことは覚えており、懐かしかった。

エイスケは続けて「今のような不自由な時代は終わり、自由な言動が許される時代がくる」という意味の発言をする。言論統制の時代は終わると。

科学技術の話は、これを言わせるための前置きだったのだ。小学生の私には、その大事な方は印象に残らなかった。そしてそれは今回も同じ。

このドラマは面白い。しかし感動シーンのセリフがあまり心に響かない。たとえばエイスケはあぐりの「それは風が決めることだから」という言葉に感銘を受けたようだが、私にはよくわからなかった。

一方で、世津子がお座敷で別れを告げるシーンは良かった。ああでもしないと特高に見つかって連行される。そんな時代だったことを言葉なしにわからせる、見事な表現方法だと思った。

小説で同じことはできない。「特高を欺くために芸者を呼んで歌と三味線で話をかき消した」などと書いたら、ただの説明でしかない。芝居だからこそできる描写だ。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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