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10月22日、町田ゼルビアの昇格を見に熊本まで。

「果てしなく続く この道が たとえどんなに険しくても いつでも俺たちは傍にいるから 辿り着けるのさ あの場所へ 立ち上がれ 今こそ 町田の 誇りを胸に戦え 蒼き友よ」

 2023年10月22日、時刻は15時前だっただろうか、熊本県熊本市東区、えがお健康スタジアムのアウェイ側ゴール裏では町田のLos Del Azulというチャントが歌われていた。自陣左サイドから町田の翁長が長めのスローインを投げる。前線ではボールがうまく収まらない。熊本がボールをクリアしようとしたその瞬間、主審が両手をまっすぐに挙げる。試合終了、町田ベンチでは歓喜の輪ができる。町田ゼルビア、クラブ初のJ1昇格決定、8年間にわたる長いJ2の旅に終わりが告げられた瞬間だった。

町田ゼルビアを見るようになったきっかけ

 そもそも、私が町田ゼルビアを見始めたきっかけに触れておきたい。初めて町田のホーム、野津田公園を訪れたのは2017年3月12日のJ2第3節、町田ゼルビア対ファジアーノ岡山の試合。私はこの時、大学受験を終えて進学先が決まり、東京に新居を探しに来ていた。想定外に早めに新居が決まってしまい、空き時間ができたから適当にJ2の試合を観に行くことにしたのだった。確か同じ日には三ツ沢で横浜FCの試合があって三浦知良が群馬相手にゴールを決めたり、遠く熊本の地ではGKの佐藤昭大がヘディングでゴールを決めたりと、なかなかすごいことが起きているのだが、広島サポの私は李漢宰と大谷尚輝、そして岡山のパクヒョンジンの姿が見たくて町田の試合に行くことにした。その試合のメモを見ると、件のパクヒョンジンのクロスからゴールが生まれたり、戸島章のJ2初ゴールがオフサイドで幻のものとなったり、高校生の橋村龍ジョセフがJリーグデビューを飾ったりと、色々あったらしい。それまでもJ3時代(その前のJ2のころ)からよくハイライトで見ていた(2015年の"ぬか喜び"のエピソードも当然知っていた)し、大分との入れ替え戦も中継で見ていたのだが、町田の試合をスタジアム観戦したのはこの試合が初めてだった。
 その後、4月から東京での大学生活が始まった。サンフレッチェのゴール裏で育ったというと過言だが、それに近い私にとって、これまで近所で毎年20回見ることができていた(と言いつつ、中学・高校の6年間は中継で見ることが大半で殆どスタジアムに行けていなかったのだが)サンフレッチェの試合が年数回の関東アウェイでしか見られないのは辛い。どこか関東のチームで1つくらい気楽に見に行くチームがあっても良いかもしれないと思い立ち、オリジナル10でもJ1でもないクラブという少しばかりのこだわりと先述の3月の縁(?)から町田を選んだのだった。

なんとなく見に行った試合。たぶん熊本戦。
どの試合か覚えてないけどこの頃のゴール裏

金沢戦、そして讃岐戦

 春から夏にかけて何試合か野津田公園で試合を観戦し、大谷のプロ初ゴールを見るなどして迎えた10月、少しばかり涼しい季節がやってきた。2017年10月15日、ツエーゲン金沢戦。いままでバックスタンドで町田の試合を見ていた私が初めてゴール裏に足を踏み入れたのがこの試合だった。当時はゴールの真裏が応援の中心で、その少し横にチャントの歌詞ボードを掲示してくれるゾーンがあり、気軽に入っていけそうに感じて気まぐれに行って声を出すことにした。その後、大雨でイエローカードが何枚も出た讃岐戦やアウェイの千葉戦でもゴール裏に行き、チームや選手のチャントを完璧に覚えた頃に2017シーズンが終わった。

アウェイの千葉戦。この頃にはゴール裏から。

新潟戦、ゴール裏で魂が震えた話

 その後、次のシーズン開幕後もしばらくは気軽に野津田に行って楽しむくらいのスタンスで見ていたのだが、自分の中で一つスイッチが入るきっかけになった試合がある。2018年6月24日、奇しくも個人的には19歳最後のサッカー観戦となったJ2第20節のアルビレックス新潟戦である。ナイトゲームだったこの試合、沈みゆく夕日にかわってアウェイ側のゴール裏に現れたのは一面オレンジ色の大軍、新潟サポーター。ホーム側まで突き抜けてくるその大声援を正面から受け、アウェイサポーターの声量に負けるわけにはいかない、この試合は絶対に勝ちたいと、今まで(広島のゴール裏でも)感じたことがなかったような闘志みたいなものに火がついて、気がつけば声が枯れても叫び飛び跳ね続けていた。90分が経って0-0、勝ち試合とはならなかったのだが、まるでタイトルがかかっている試合なのかと思うほど魂が震えた試合だった。

2018年、J2最終節

 ゼルビアは優勝争いの渦中に居続け、そのまま2018年の最終節を迎えた。メインスタンド、バックスタンド、そして両側のゴール裏まで空席を見つけられないほど、まさに満員のホーム野津田で迎え撃つのは東京ヴェルディ。3位の町田は勝利のうえ、松本と大分が引き分け以下なら優勝となる。J2優勝が懸かった大一番にして“東京クラシック”。どの要素を切り取っても負けられない戦いが目の前にあった。

すじ雲が浮かぶ清々しい野津田
満員の野津田でコレオをやったのも思い出

 試合は試合終盤まで均衡状態が続き、76分、長めのボールからヴェルディ林のループシュートが決まって1点を失う。直後に町田も大谷がセットプレーの流れから同点ゴールを奪い、試合はアディショナルタイムへ。ラストプレーの中村のヘディングシュートが惜しくも枠をとらえられず、試合終了、他会場の試合を見ると上位2チームは引き分けで、もう1点が決まっていればと思うと悔しいが、偶然見に来て気まぐれに応援し始めた町田が、この野津田の地で最後まで優勝を争ったことは、この日まで13年間見てきたサッカーの試合の中で最も感動した瞬間だった。

3月、強風の金沢にて

 翌2019年、遠くアウェイの地にも行ってみようと選んだのは、奇しくも最初にゴール裏に足を踏み入れたのと同じく金沢戦。バスタ新宿から夜行バスに乗って金沢の地に降り立った。町田のゴール裏の特徴でもある大旗を途中で仕舞わざるを得ないほどの強風と雨の中、金沢攻撃陣が次々に町田ゴールへ襲いかかる。90分終わって6-1、久々に試合中に早く終わってくれと思ってしまうほどの惨敗だった。コールリーダーをはじめゴール裏の悔し涙、そして肩を落としてロッカールームに下がっていく選手たちを呆然と眺めるしかなかった。その後も昨シーズンとは対照的な流れが続いて、ホーム最終戦では目の前で柏レイソルに優勝を決められた。(この時には黄色に染まったアウェイゴール裏に柏サポの友人がいて、二重三重に悔しかったのを覚えている)

金沢駅で見かけたPRコーナー
金沢のアウェイ側から。とにかく寒かった。
目の前で優勝を決められたホーム最終節。

そして熊本へ

 時は2023年、私は仕事の都合で2021年から2023年夏まで沖縄にいて、シーズン開幕前にうるま市具志川で行われたキャンプを見て以来、中継すら見られない忙しい日々を送っていたのだが、7月に東京に引っ越してきた。毎週のように勝利を知らせるスコア速報が届き、気が付けば首位を快走するゼルビア。ゴール裏に響くチャントも戻ってきて、数年ぶりに野津田公園へ向かった。千葉戦(1-3)、栃木戦(0-1)、甲府戦(3-3)、3試合で1分2敗、今シーズンの成績から考えると不思議なほど勝ちに恵まれなかったが、私が現地にいない試合では順調に勝ち点を重ね、ついにJ1昇格が目前に迫っていた。10月22日の熊本戦に勝てば昇格が決まる、私は夢中になって熊本行きの航空券を探していた。偶然マイルが貯まっていたから往路は当日早朝のANAマイル特典航空券を確保して、帰りは当日最終のジェットスターを確保。かなり強行的な日帰り遠征だが、7年間見続けたチームの初昇格の瞬間は絶対に現地で観たい。

沖縄在住時代に唯一行けたのは2022年のアウェイ琉球戦。この頃はご時勢柄声も出せなかった。

熊本遠征録

 朝早めに起き、適当に朝食を押し込む。そしていつものように鞄にユニフォームとタオルマフラーを突っ込み、家を出る。11月も近くなって朝は少々肌寒く、外はまだ薄暗い。ビルの狭間に少し赤くなってきた水平線を眺めながら駅まで歩いていく。今日昇格が決まるかもしれない、高まる気持ちを抑えながら電車に乗り込む。少し早めに空港に着いてしまって、展望デッキでコーヒーを片手に音楽を聴きながら朝風にあたり、7時半ごろに保安検査場を通過した。今回乗る熊本便はいわゆるバスゲートで、ゲートに行くと何人ものゼルビアサポーターの姿があった。みんなこの日を待っていたんだと嬉しくなる。

ゲートで熊本行きを待つ
大勢の町田サポーターが乗り込んだ

 熊本行きと書かれたバスに乗って駐機場に行き、飛行機に乗り込む。私の席の前も後ろもゼルビアサポーター、満席の熊本行きは定刻通り出発した。昨日は早めに寝たとはいえ寝不足気味で、微睡みながら熊本に向けて飛んでいく。気がつけば窓からは九州の山々が垣間見えてきていて、阿蘇と熊本市街地の間に位置する熊本空港に降り立った。ターミナルはコンパクトで真新しく、明るさが漂う。そのままタクシー乗り場に向かい、その場の何人かで乗り合ってロアッソ熊本のホーム、えがお健康スタジアムにたどり着いた。「町田さん今日だけは勘弁してよ」「今日決めますから!」なんていう両チームのサポーターの談笑が色々なところから聞こえる。とりあえずメインスタンドのほうに行くと、色々な屋台が並んでいる。折角熊本まで来たのだからと、あか牛丼を買ってアウェイ側の入場列に向かう。ざっと200人くらいいそうな長い列に並び、11時に開場となる。冒頭と同じLos Del Azulを歌いながら客席に入っていくゼルビアサポーター。今日”あの場所”に辿り着いてみせる。そんな高揚感とともに階段をのぼり、長いコンコースを歩いて客席に入っていく。このスタジアムはメインスタンドとバックスタンドの大きな屋根が特徴で、観客席の目線が高く傾斜もしっかりしていて、陸上競技場の割には見やすい。

ゲートには長蛇の列
最高のスタジアム
こんな嬉しいボードも

 しばらくして広島から来た友人と合流し、GKのウォーミングアップの時間になる。福井とポープウィリアムが登場し、ゴール裏の熱気がより一層増してくる。そしてしばらくするとフィールドプレイヤーが登場し、一人ずつコールとチャントを歌って、いつものように試合開始が近づいてくる。2時間半後にはJ1昇格が決まっているかと思うと落ち着かないが、これも普段とは何一つ変わらないJリーグの試合なんだと思い直した。アウェイ側に詰めかけたのは400人、3ブロック分を覆い尽くす我らが青色のサポーターの声量はホームかと思うほど大きい。そして、いつものように大きなフラッグも揺れている。

 13:05、ついにとても大きなもの、”J1昇格”の切符が懸かった試合の笛が吹かれた。試合は序盤から町田がやや押し気味で進めるも、決定機をなかなか決めきれない。21分には熊本の平川の強烈なシュート、これは福井のスーパーセーブに救われる。さらに熊本は37分、カウンターから田辺がネットを揺らす。ビハインドの展開か、少し苦しいなと肩を落としそうになるが、副審はコーナーフラッグ付近で立ち止まっている。ゴール裏からはギリギリのところでオンサイドだったように感じたが、判定はオフサイドで事なきを得た。
 前半も44分になり、このまま0-0で折り返すのかと思っていた矢先、町田は左サイド深い位置でボールを奪うと、中央の宇野へ。宇野はワントラップして右足を振り抜く。鋭い軌道を描いたシュートは遠目からはよくわからなかったのだが、確かにネットに突き刺さっている。先制、欲しかった一点が入り、周りの人たちとハイタッチを交わして喜ぶ。前半終盤のいい時間帯の先制点、これで楽に試合を進めることができる。

 ハーフタイムはいつものようにのど飴で喉を休め、いよいよ後半が始まる。1-0、もちろん全く安心できるスコアではないが、45分後に訪れているかもしれない夢に向かって後半開始の笛が吹かれた。後半早々の52分、試合を動かしたのは町田。右サイドに展開したボールを平河が受けてチャンスを作ると、バスケスバイロンがつないで最後は髙橋大悟がDFを振り切って左足を振り抜く。GKに当たったボールはそのまま吸い込まれて追加点。私も思わず拳を突き上げ、再びゴール裏には歓喜の輪ができる。2-0、俗に危険なスコアと呼ばれるし、2点差がひっくり返る試合なんて飽きるほど観ているが、これは大きすぎる。そして、さらに61分にはバスケスバイロンが中盤でボールを奪って右サイドを突破すると中央に送る。平河はシュートが打てないが、セカンドボールを下田北斗が左足ボレー、バーに当たったボールはバウンドしてゴールに入っていった。これで3点差、過去にJリーグでは4点差がひっくり返ったこともある。ゴール裏では「まだ何も決まってないぞ」の声も飛ぶが、昇格がもはや手に届くものとして目の前に現れようとしている。

 時間の経過とともに、この7年間の思い出、2017年にほとんど勝てなかったこと、2018年には優勝を一歩のところで逃したこと、2019年は金沢で1-6で負け、ホーム最終節には柏の優勝を決められたこと、試合を見にいくのも難しかった2020年、そして遠方から応援していたこの2年間と、いろいろなことが思い出されてくる。町田というクラブ自体は最初のJ2やJ3の頃からよくハイライトは見ていて、長野でのぬか喜びや大分との入替戦、そんな歴史が思い出されて目頭が熱くなってくる。まだ残り20分、全く何も決まっていないのだが、後半25分にはもう込み上げてくるものがあって、チャントも歌えなくなってきた。そして後半40分過ぎ、Los Del Azul、果てしなく続くこの道、それは今までも、そしてこれからも険しいに決まっているのだが、ついに一つの大きな場所に辿り着こうとしている今、この歌詞のチャントが歌われる。歌ったら完全に泣いてしまいそうな気がして私は声が出せなかった。

 そして試合終了、ピッチ上では奥山がガッツポーズ。観客席では涙を流す蒼きサポーター。ついにJ1への片道切符を手にした。チャントを歌い、選手や監督がメガホンを持って喜びの言葉を口にし、記念写真を撮ってと、1時間くらいスタンドに残っていたと思うのだが、正直何一つ覚えていない。ただ一つ覚えているのはとにかく嬉しかったということだけだった。

これが見たかった!!
爽やかな熊本の風景

 会場を後にし、友人と光の森駅まで歩く。1時間ほど爽やかな熊本の道を歩いて辿り着いた駅前の飲食店で1時間半くらい語り尽くした。そして広島へ帰るという友人と別れ、私は空路で東京に戻るべく肥後大津へ向かう列車に乗った。閑散とした車内、列車は熊本の平原を颯爽と走り抜け、肥後大津からは無料のジャンボタクシーで空港へ。ジャンボタクシーではテレビが流れていて、数年ぶりにワンセグというものが現役で動いているのを見た気がする。

 熊本空港に着くと、結構な人数のゼルビアサポーターが。私は帰りにジェットスターを選んでいて、カウンターでチェックインを済ませて保安検査場に行く。そもそも今回は片道をマイル特典航空券、片道をLCCにしようと思ったのだが、行きにLCCを当てて万一のときに試合に間に合わないリスクと帰れないリスクを天秤にかけ、圧倒的に前者のリスクが大きいからと復路をLCCにしたのだった。熊本空港は保安検査場の先にいろいろなお店があって、ここでお土産を買ったり食事を楽しんだりできる。さながらショッピングモールの専門店とフードコートのようで、ここでお土産をいくつか調達しておく。お土産も銘菓 陣太鼓だけでなく、馬肉や陶磁器も売っていて、かなり幅広くて驚かされる。最後に熊本ラーメンでも食べようかと思ったが、結構な混雑でこちらは断念。
 ジェットスターに乗り込むと、私は非常口座席が当てられていた。非常口座席は初めてで面食らったが、足元が広くてかえって快適な気がする。20時、定刻に出発して、真っ暗な熊本を飛び去る。微睡んでいると気がつけば成田に近づいて、定刻通り着陸した。少し遠いターミナル3を歩き、ターミナル連絡バスの乗ると一目散に京成線乗り場へ向かう。そしてスカイライナーに乗り込み、こうして熊本遠征が終わる。

10月30日、金沢戦を見て思う

 1週間後、奇しくも金沢戦。ゼルビアは前日に優勝を決めて試合に臨むことになった。7年前に気軽な気持ちでなんとなく観戦しはじめたチームが紆余曲折を経て強くなり、J2を制覇するところを見られるとは、李漢宰の完璧なフリーキックから重松のヘディングシュートが決まり、そしてパクヒョンジンのクロスがDFに当たってゴールに吸い込まれたあの岡山戦を観客席で見ていたころには全く想像していなかった未来だった。これだからサッカー観戦はやめられない。この道が果てしなく続いていくことを祈って。

CHAMPIONS

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