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「大丈夫?」が減った世界


大丈夫?と聞くとき、往々にしてその人が大丈夫じゃなさそうな事が多い気がします。
あなたの周りには、大丈夫じゃなさそうな人はいませんか?

世界から「大丈夫?」が減ったような気がします。(気のせいかもしれません。少なくとも私の世界の話です。)
聞いても大体「大丈夫!」と返ってくるので、聞く意味あるのか?聞いた人が安心したいがために「大丈夫!」を引き出しているだけでは?とか思ってしまいますが(こういう常套句に引っかかりを感じてしまう癖があります)、「私はあなたを心配しています」という意思表示のようなイメージなのでしょう。

「大丈夫じゃない!」が返ってくる場合もあります。
その場合、聞いたからには何かしないといけない。何もせずに流してしまったら後々良くない事が起こるかもしれない。でも、聞いたら後々面倒な事になるかもしれない。
だから「大丈夫?」って聞かない世界になったのかなって思います。

心療内科ですら、大丈夫?って聞かない。
予約を取るのが難しく、本当に行きたい時にすぐに行けない場所。(病みすぎだろ、日本)予約パンパンな中で大勢の悩みを受け止めテンポよく診察する。おそらく、多少ドライでないと患者に依存されたり、診察が長引くのだろうな〜と、勝手に推測しています。
大変な仕事だ。いや、楽な仕事なんてものは無いと思いますけども。
自殺しようと心に決めた時、心療内科の予約をキャンセルしたことがあります。診察で「今年中に死のうとしている」と言ったことがありますが、キャンセルの電話の後に、大丈夫?と聞かれることはありませんでした。
少しでも、心配にはならなかったかな?でもまぁ、忙しいからな…でも本当に死んじゃうけど大丈夫そ!?後悔しない!?などと、心配されないことに驚きや怖さがありました。
その後、死への本気度が割と高かったけど結局死ななかった話をしましたが、深掘りされることはありませんでした。(そういうもんなのかな、でも、程よくドライな診察は私にとって心地よかった。担当医の方には本当に感謝してます。)

友達からも、家族からも、大丈夫?が減りました。
なぜ「大丈夫?」と言わないのか。
・単純に気付かない
・気付かないフリをしている
・気付いてしまうことを避けている
・聞くべき人は自分ではないと遠慮している
・大丈夫じゃない人を受け入れる余裕がない
・そもそも関心がない
・気付く心の余裕がない
・気付いても何かする余裕がない
私の中で思いついたのはこのあたりです。

いずれにせよ、言われなかった、という事実だけが残る。
本当に死んだら「何もしてあげられなかった!私のせいかもしれない!」って後悔するんじゃないのか?いいの?本当死んじゃうよ?

では、どうすればよかったか、されたかったか。
私にはわかりません。
だって、大丈夫?って聞いて面倒なことになって後悔したことは沢山あるし、結局自分が聞かれたとて「大丈夫だよ〜!」って返すと思うから。普通に心配かけたくないし「私、死にたいの!」って言っても大体「あなたが死んだら寂しい!死なないで!」しか返ってこないから。めちゃくちゃ失礼だけど、そういうのは求めてない。(自死を選ぶ人の意思は頑なだから、周りが何言っても無駄なところがあります)

じゃあ結局何が言いたいかというと
とりあえず「大丈夫?」が減ってしまった世界が、大切な人が「大丈夫じゃない」ことに気付く余裕のない世界が、寂しいなと感じてしまっただけです。
「大丈夫?」じゃなくてもいい。ただ、その人のことを大切に思っているということを、その人に合った言葉で、行動で、すぐに伝えられるような、その方法を考えることに時間を使えるような、そんな優しい世界になればいいと思った次第です。

イラスト : 自作(2017年)

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