見出し画像

シュレディンガーの猫

知人から『統一場理論』について説明して欲しいと言われた中で、蛇足として出てきた『シュレディンガーの猫』の話について自分の言葉としてまとめてみたくなり記しています。


そもそものこの思考実験については、ネット上に散見されるので、自ずからの探究心に従って調べていただきたい。

結果としては、観測者あらずして結果は得られないという点です。ただ起こりうる現象としては

毒ガスにより死んだ猫
毒ガスに関係なく生き延びた猫

のどちらかしか存在し得ないと考えられます。

見てみないことには結果ぎわからないとしつつも
現実に起こっている現象について

デジャヴ(既視感)

がある。この現象は初めて訪れた場所でも以前に訪れた記憶があるといったものです。
私も中学生あたりまでよくあったものです。夜、夢で見た景色が明くる朝の登校時に同じ景色を見たのでした。まるで映画の再上映のように繰り返されておりました。なんとも、不思議な体験でした。

また、アカデミックな例ですと『光の二重スリット実験』があります。

これもあまりにも奇妙な実験結果を示しております。一般的な認識としては、スリットを通った光は干渉縞となってスリットの後方のスクリーンに映し出されます。

しかし、観測者がいないときに実験結果が異なるのです。それは一本の筋となってスリットを通り抜けるのです。

これについてはかなりの物議があります。シュレディンガーの猫に関する前提があると、観測者すなわち『人』を介していないものを結果として取り扱ってよいのか。

思考実験での難しい点ですね😓
はじめにも記したとおり、正確に現状を著すのであれば『わからない』が妥当なのだと思います。

ただ確率として起こりうる場合は無限大♾️ということもあり得るともとれます。

猫が猫でなくなる。
猫の性別が変わる。などなど。

こういった可能性が数多にあり得ると捉えるとパラレルワールドが存在しうるとも取れるのではないでしょうか。🤔

いずれにしろ、独断での判断と捉えてしまえば西洋の個人主義として処理されてしまいがちなことと思います。私自身も、短絡的な個人主義に陥らないように気をつけたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?