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古楽に足を踏み入れた話

私はルツェルンの大学院で初めて本格的にバロック音楽に触れた。
それまでは演奏法や解釈などを良く知らず、独特のやり方があってなんかいろいろ新しく勉強しなきゃいけなさそうだし難しそうだなと思っていて、あまり触れずに来た。
それでも古楽は時々耳にすると魅力的に聴こえて、いつも、いつか勉強したいなーと思っていた。
今回は私がようやく古楽について学び始めた話。

大学院に入学するときに、副専門(Minor)を選ぶことができ、その中に古楽もあったので、この機会にぜひ!と思いきって履修することにした。すでに専門として古楽を極めた学生もいると思われるなか、丸腰でその中に飛び込んでいくような感覚で、ドキドキワクワクだった。

まず必修のHistorische Aufführungspraxis(バロック時代の演奏法の実践)を履修。思った通り受講生の中には百戦錬磨の古楽人みたいな人もいて、授業でディスカッションをする際には時々、本当に役立たずのでくのぼうになった気分を味わった。
この最初の学期の授業では、アーティキュレーションやディミニューション、拍子やテンポについて勉強した気がする。正直ついていくのに精一杯で細部は忘れた。プレゼンもしたし、それぞれ好きなテーマで、他の受講生のプレゼンも聞いたのでけっこう幅広い情報を摂取した。
しかし、この半年で、バロック音楽ってこういうものかなあ〜?という感じで、私の中で概念の形がぼやっと見えてきたような時間であった…私ってつくづく物事の理解に時間がかかるなと思う!

そしてこの学期がおわったあとの冬休み中に、オペラの企画に声を掛けていただき、モンテヴェルディのオルフェオに乗ることができた。
この企画はとある楽器博物館所蔵の"Regal"という楽器をお披露目するためのものだった。ここのレガールは、モンテヴェルディが生きていた時代に作られたもので、そんな貴重な楽器を使って演奏できるという素晴らしい機会であった。
こんな古楽素人でも良いの?という感じだが、乗せてくれて本当にありがとう。


Regal
2つのふいごで空気を送り、音を出します

このレガールはちょっとびっくりするくらいドギツイ音がする。今でもレガールは製造されるみたいだけど、音色がかなりまろやかだそうで、地獄のシーンで演奏される為にはいささか迫力が足りないのかもしれない。
モンテヴェルディが描いた当時の音色ってこんな感じだったのかあ…としみじみとした。

オルフェオは無事終わり、次の学期では自分でアンサンブルを組んでレッスンを受ける傍ら、バロックダンスの授業を取ってみた。
これがものすごく楽しい授業で、私はそれからバロックダンスにハマり、卒業後もそのクラスの発表会に赴き一緒に踊るほど好きになった(笑)

授業はテオリー、音楽、ダンスの3種類に分けられ、バロックダンスの歴史や基礎を学びながら、音楽もそれぞれの楽器、様々な編成で演奏、歌唱を学び、そして乗り番でない学生がダンスを習うという盛りだくさんなものだった。
バロックダンスの先生はバーゼルからわざわざ呼んでいた。
発表会では外部からたくさんのお客さんが来て、音楽や先生と学生の踊りを楽しみ、時には一緒に踊った。

バロックダンスと同時期に通奏低音のレッスンにも通い始めた。
通奏低音は、バスだけの旋律、あとは数字が書かれていたり書かれていなかったりする楽譜を見て、和音を自分で付けて弾くというものである。
これが最初は本当にしんどかった。
即座に和音を想像することができなくて、一行弾くのにすごい時間を掛けていた。
今まで自分で伴奏など弾く時には楽譜に書かれた音のみを弾くということに慣れていたので、慣れない思考をさせられて頭が爆発しそうだった。これは我慢して続けていると時とともに慣れて、辛くなくなっていく。
あとは415Hzのチェンバロの音と、442Hzで体に染みついている楽譜の音が違って聞こえるのが気持ち悪くて…想像した音より半音低く聞こえるので感覚が狂う。この時初めて、固定ド(ラ=442Hzで調律されているピアノの鍵盤と同じ音高)で音を覚えている弊害を感じた。

2学期目からは少し慣れてきて、ヘンデルの素晴らしい通奏低音の曲を弾いたりして、辛さよりもその楽しさが分かってきた時期である。続けていたかいがあった。
通奏低音をやって最も良かったことは、音に対する感覚が研ぎ澄まされたことである。べつにバロック音楽に限らず、どの時代の音楽を聴いても、今まで何とも思っていなかったようなちょっとした非和声音を敏感に感じ取るようになったし、自分が歌う時には、2度の摩擦を味わったり、終止形によってニュアンスを変えられるようになったり、もっとふかくそれぞれの音の存在意義を考えられるようになった。

私個人的に古楽を勉強することの楽しみを見出しているものは、核となる歌そのものの演奏に半分、そして自分の専攻楽器以外の部分、つまり理論や文化・歴史的背景、はたまたダンスや絵画のような他の芸術分野とのつながりなど、核を取り巻く分野の知識や経験を得ることで歌のための新たなひらめきが起きることの半分である。

古楽のおかげで私の耳はステップアップした。
おかげで、音楽をする・聴くことがもっと楽しくなった。


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