見出し画像

音楽史年表記事編29.謝肉祭、四旬節、聖週間、復活祭のスケジュール

 冬から春の時期に行われる謝肉祭(カーニバル)、四旬節、復活祭(イースター)のスケジュールは年ごとに異なり、復活祭の日程により決まります。復活祭は3/21の春分の日の次の満月の日の次の日曜日と定められていますので、おおよそ4月の上旬に復活祭を迎えることになりますが、早い年は3月下旬に、遅い年は4月下旬になることもあるようです。復活祭の前の1週間が聖週間となり、聖木曜日が最後の晩餐の記念日、聖金曜日が受難日、聖土曜日が復活祭前夜となり、バッハは聖金曜日に演奏するためのマタイ受難曲BWV244やヨハネ受難曲BWV245を作曲しています。聖書の福音書はマタイ、ヨハネのほかにルカ、マルコがありそれぞれの福音書でイエスの受難が伝承されていますので、バッハはそれぞれの福音書の受難曲を作曲しました。
 そして、聖週間を迎えるための祈りや断食などの節制が40日間にわたって行われ、四旬節と呼ばれます。この四旬節の期間は華美な催しは控えられ、オペラ公演などは自粛され、モーツァルトはこの期間に集客をねらってピアノ協奏曲などによる予約演奏会を開催しました。
 四旬節の始まる日はおおよそ2月中旬になります。この日は水曜日にあたるため灰の水曜日と呼ばれます。この節制の四旬節の前に謝肉祭が行われます。クリスマスシーズンが新年の1/6の顕現日で終わり、その後ウィーンでは舞踏会シーズンを迎えるわけですが、その締めくくりとして灰の水曜日の前の週の木曜日にはウィーン国立歌劇場での舞踏会(オーパンバル)が開催されます。モーツァルトもカーニバルのシーズンに夕方6時から翌朝7時まで大騒ぎをしたと父レオポルトに手紙で書いています。クリスマス、カーニバルと冬の夜長を楽しんだ後、一変してイエス・キリストの受難の週を迎えるために長い節制の祈りの期間を過ごし、春にはイースターを迎えるということになるようです。

【音楽史年表より】
1724年4/7初演、J・S・バッハ(38)、ヨハネ受難曲BWV245
聖金曜日にライプツィヒの聖ニコライ教会で初演する。バッハがライプツィヒに赴任して最初に迎えた聖金曜日のために書いた受難曲。ヨハネ福音書の受難記事の音楽化に自由詩楽曲とコラールを加え、世に下った栄光の主イエスが捕らわれて十字架につけられ、贖罪の使命を成就するまでを描く。バッハの生前、1724年、25年、32年、49年の4回上演されており、そのたびに改変の手が加えられている。(1)
1725年4/1初演、J・S・バッハ(40)、復活祭オラトリオBWV249
復活節第1日に初演する。羊飼いカンタータBWV249a全10曲のうち7曲を用い、復活祭オラトリオとされる。(1)
1727年4/11初演、J・S・バッハ(42)、マタイ受難曲 BWV244
ライプツィヒの聖トーマス教会で初演される。受難曲は聖金曜日の晩課として、すなわち人間が神のいいつけに背いて犯した罪を賠うために主イエス・キリストが十字架上で息をひきとられたことを記念する金曜日に演奏される。その翌々日の日曜日(次の週の初めの日)が復活祭となる。作品は独唱、合唱を伴う2つの管弦楽群によって演奏される。17世紀半ばにハンブルクで始まったオラトリオ受難曲の様式による。ルター訳のマタイ福音書をレチタティーヴォ化した楽曲を中心に自由詩による合唱、アリア、レチタティーヴォと種々のコラールを折り混ぜる形で進められる。聖句楽曲においては語り手がテノール、イエスがバスに割り振られ、他の登場人物はそれぞれの声域の独唱者に、また弟子や群衆は合唱に委ねられる。(1)
1730年4/7初演、J・S・バッハ(45)、ルカ受難曲 BWV246
バッハ、聖金曜日に作曲者不明のルカ受難曲を上演する。バッハは他者のルカ受難曲に加筆を行ったものと見られる。(1)
1731年3/23初演、J・S・バッハ(45)、マルコ受難曲 BWV247
ライプツィヒの聖トーマス教会で初演される。歌詞のみが現存するが、ほとんどが旧作からの転用と考えられる。(1)
【参考文献】
1.バッハ事典(東京書籍)

SEAラボラトリ

作曲家、作品、音楽史年表検索へ・・・音楽史年表データベースへリンク
音楽史年表記事編・目次へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?