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音楽史年表記事編27.モーツァルトの出世作・孤児院ミサ曲ハ短調K.139

 1768年1月、モーツァルト一家はウィーン宮廷に伺候しますが、ここでモーツァルトは皇帝ヨーゼフ2世からオペラの作曲を勧められ、早速オペラ「ラ・フィンタ・センプリチェ」K.51を約4ヵ月間かけ完成させました。しかし、皇帝自らが直々に上演日程を取り決めたものの、上演はかなわない状況となり、おそらく、皇帝ヨーゼフ2世の計らいであろうと思われますが、続いてウィーンの孤児院の新しい聖堂の献堂式のためのミサ曲の作曲が委嘱されます。
 こうして、1768年12/7モーツァルトにとって初めての大ミサ曲である孤児院ミサ曲ハ短調K.139が皇帝ヨーゼフ2世、フェルディナンド大公、マクシミリアン・フランツ大公、大公女エリザベート、大公女アマリア臨席のもと、モーツァルト自身の指揮により初演されました。このミサ曲は臨席した5人の皇帝、大公、大公女に深い感動を与えます。特に、表現豊かな情感が、3本のトロンボーンの悲愴な響きにも表れています。当時トロンボーンという楽器は合唱部のアルト以下の3声部の補強としての使用が通常の用い方ですが、この曲でこれほど表情豊かに用いている独創性は特筆すべきです。このミサ曲初演にはオッフェルトリウムK.117が同時に初演されていますが、オッフェルトリウムはミサ曲のクレドとサンクトゥスの間で演奏されるようです。また、モテットK.47も同時に初演された可能性があるようです。
 この孤児院ミサ曲の作曲と初演は、モーツァルトにとっての出世作ともいうべき作品となり、ウィーン宮廷の皇族から、作曲家としての大きな信頼を勝ち得ることとなりました。
 モーツァルトは人生最後のオペラ「魔笛」で、再び3本のトロンボーンの和音を響かせますが、晩年においてもこの孤児院ミサ曲の成功が思い出されたのかもしれません。

【音楽史年表より】
1768年12/7初演、モーツァルト(12)、ミサ・ソレムニス ハ短調「孤児院ミサ」K.139
ウィーン日報や皇室儀典記録はこの「聖母マリアの無原罪のおんやどり」の祝日(12/8)の前日に行われた孤児院付属聖堂の献堂式に行われたミサが、いかに重要な出来事だったかを詳細に伝えている。特に皇帝ヨーゼフ2世とフェルディナントとマクシミリアン両大公およびエリザベートとアメリア両大公女の臨席が報じられており、さらに「モテトを含む大ミサ曲のすべては、特異な才能で知られる12歳の少年によって作曲され、またその少年自身がきわめて正確に指揮をして、列席したすべての人々によって喝采と称賛を受けた」と書かれている。モーツァルトは当時の宗教音楽に特有の混合様式にきわめて忠実であったが、この初めてのミサからすでに、形式に則った音楽的な統一性を形成しようと努力している。彼の作曲になる最初の大規模なキリエはゆっくりとした導入部に続いたソナタ形式となっているが、ここで彼はできるかぎり表言力に富んだ曲にしようとしている。・・・この哀願の情は弦楽器の象徴的な下降旋律にまとわりつく、3本のトロンボーンの悲愴な響きにも表れている。トロンボーンという楽器は合唱部のアルト以下の3声部の補強か、難しいソロを吹くというのが通常の用い方であるが、この曲でこれほど表情豊かに用いている独創性は特筆すべきである。なお、この初演時には失われたモーツァルトのトランペット協奏曲が演奏されたとされている。(1)(2)
1768年12/7初演?、モーツァルト(12)、ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス(聖霊よ来たれ)ハ長調K.47
ウィーンの孤児院教会の献堂式で孤児院ミサと共に初演される?(3)
1768年12/7初演、モーツァルト(12)、オッフェルトリウム「ベネディクト・シト・デウス(主は頌めたたえられよ)」ハ長調K.117
ウィーンの孤児院教会の献堂式で孤児院ミサと共に初演される。(3)
【参考文献】
1.カルル・ド・ニ著、相良憲昭訳、モーツァルトの宗教音楽(白水社)
2.海老沢敏著、モーツァルトの生涯(白水社)
3.モーツァルト事典(東京書籍)

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